Kazuhiko Hoshino
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今シーズンのパリ・オペラ座バレエ団はジェローム・ロビンスの作品特集だ。劇場はオペラ座ガルニエ、あたらしいバスティーユのオペラ座よりいろいろな意味でガルニエのオペラ座が似合う。振付師としてのロビンスの…
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かっての仕事場であった赤い風車の「ムーランルージュ」、そのお隣にシラノ・ド・ベルジュラックというレストランがあった。奥の一隅には芸術家気取りの一群が集まり、反対側にはムーランの踊り子、大通りに面した…
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パリの右岸からシテ島に渡る。パリ警視庁の前を通り過ぎサン・ミッシェル橋を過ぎると、そこはカルチェ・ラタンと呼ばれる学生街だった。だったというのはいまやそこに学生達の姿はなく、多人種の雑然とした歓楽街…
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マクドナルドではない。フライドチキンでもない。結婚式のお話。ところはラスベガス郊外…街道沿いに小さなブライダル・チャーチが、えんえんと続く。チャーチの数は1000とも2000ともいわれ、その多くは家…
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海外から二年前に帰国した友人がいる。子供を日本の中学校にやり、愕然としたそうだ。彼の奥さんがいうには、日本の学校はあまりにもレベルが低い。こんな教育を受けさせていたらこの子に将来はない。私は子供といっ…
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歌舞伎座が建替えられることになり、最後の御名残芝居を見た。歌舞伎18番のなかでも評判の「助六」である。吉原仲之町を背景にしたこの芝居は、江戸趣味を集約した作品で、江戸っ子たちには格段の思い入れがある…
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「何故だ」街にはヤマダ電機、ヨドバシ・カメラ、ケーズ、ラオックスと家電量販店が溢れている、にもかかわらず日本の電気業界は総崩れだという。DVDプレーヤーも、カーナビも、液晶パネルも、総て日本が開発し…
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不覚にも近頃味噌がペットボトルに入っていることを知らなかった。日々の暮らしと切り離すことの出来ない味噌の難点、溶かすときのダマ、濃さの調節、使い切りの難しさ、これらを一気に解決したのが、「すぐとけ、…
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東京・名古屋・大阪それぞれに1000人の男性に聞きました。という調査結果である。webデザイン、IT資格検定などは当たり前の時代の流れ、使える女を求めているという点で昔も今もあまり変わらない。ヘアメ…
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サマー・ファッションの牽引車となる今年の水着が出揃った。数シーズン続いたブライト・カラーの流行も終わり、女性意識の高揚と共にさらなる分化がみられる。水着にも草食系と肉食系が明確に分かれて登場。これは…
プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞