Kazuhiko Hoshino
の記事一覧
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あの巨星ダリをして「神々しい入口」といわしめたパリ・メトロの入口、エクトル・ギマール デザインの駅はいまふたつしか残っていない。そのひとつが12号線のピガールからひとつめのアベス駅だ。モンマルトルの…
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主役は紙またはガーゼに包まれた少量の紅茶、糸紐で首つり状態になっている。添えられてくるのはあいまいな温度のポットのお湯。カップは妙に肉厚の安物。パリのカフェで紅茶を頼むとだいたいそんな組み合わせで運ば…
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果てしなく続く人骨、頭蓋骨、ぎっしりと隙間なく並んでいる大腿骨、現在公開されているのは約1、7キロ分のみ、地下鉄の倍の深さに位置するパリの地下墓場…通称カタコンブ、入口には「死の帝国」とあった。額に…
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モンパルナスにあるカルチェ財団美術館で、キタノ・タケシ展をみた。タケシの優れたアート感覚を期待して足を運んだが、そこにあったのはタケシ式遊園地であった。週末の夜のワイドショウでタケシが演じているテレ…
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ポン・デザール(芸術橋)と呼ばれている橋がある。30ばかりある世界遺産セーヌ川に架かる橋のなかでももっともシンプルな始めて鉄がつかわれた素朴な橋だ。ナポレオン一世が左岸からルーブル宮に自由に出入りで…
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石畳の道には表情がある。角型に切り出した石を波型に並べたり、方眼に並べたり、職人の感覚と技術で並べていくのだから、妙に整って見事なイシダタミから、なんとも不安なイシダタミまでいろいろある。とくにモン…
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高校時代試験の前日に必ず聴いた曲があった。ショパンの英雄ポロネーズ…当時はSPだったので、気分の高揚するギャロップの部分で蓄音機を止め、レコードを裏返さなければならない。それでも聴き終わるとカロリー…
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日本ではパリ祭というが、パリにパリ祭はない。7月14日(キャトーズ・ジュイエ)と呼んで革命記念日のこの日は年間最大の祝日になっている。13日の前夜祭は町中のあちこちに青空ホールが出来、一晩中陽気に踊…
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600年前、突如として現われフランス滅亡の危機を救った19才の少女、ジャンヌ・ダルクはいまだにフランス人の心を掴んではなさない。なによりの証拠に、パリには6つのジャンヌ像がある。誰でも知っているのは…
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46位ということは、その下はひとつ47位に鳥取がランクインしていた。「平成の人気者1000人を生み出した47都道府県ランキング」という他愛のない調査だ。それにしても46位とはそんなにエンタ系の人がい…
プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞