Kazuhiko Hoshino
の記事一覧
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この暑さは何だろう。戦後間もなくから夏の軽井沢に来ていたが、入道雲が立って、汗を拭う夏は7月の4週から、8月の2週、土用波の聞こえる頃にはもう秋風がたち、旧道のお諏訪さまの花火で軽井沢の夏は終わった…
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手元にAGENDA 1960 と黒地に金文字で押刷された厚さ2センチほどの本がある。1960年つまりパリのムーランルージュで仕事をしていた時、ソルボンヌの文具屋で求めた日記帳なのだ。その年覗いたパリの…
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幸か不幸か「国民的美魔女コンテスト」などというものが、存在することを知らなかった。いよいよ発表されたファイナリストを紹介しよう。まず酸化しないカラダを目指すエアロビ美魔女・バスケ大好き上海美魔女・ト…
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夏の軽井沢はペット天国。どこかに五代将軍綱吉が隠れ、ひそかに生類憐みの令をだしているのでは、とさえ思ってしまう。朝寝ぼけ眼で森のあいだから下の道を覗けば、すでに犬にひかれて人間が歩いている。なかには人…
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「イタイ」という形容詞が盛んにつかわれている。いい歳をしてお嫁サンバをうたう郷ひろみ(54歳)がイタイ。芸がないのに安っぽいイブニングをきて、これ見よがしにバストを見せびらかす叶姉妹がイタイ。ファー…
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広島原爆投下の日、長崎原爆投下の日、沖縄戦敗北の日、ボッタム宣言受諾日本敗戦の日、この四つの日は天皇家にとってもっとも重要な日である。昭和天皇以来平成天皇、秋篠宮家においても「お慎みの日」として、私…
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消費税導入議論のタイミングを間違い、戦後保守政治転換の絶好のチャンスを取り逃がしてしまったカンソウリ。薬害エイズ患者への謝罪などでいさぎよい正義の印象があつたのだが、このところさっぱりである。「小沢さ…
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終戦という言葉は好きになれない。「神の国日本は有史以来、外国に敗けたことがない。だからこの聖戦も絶対に勝つ。」繰り返し繰り返しそう教育されてきた僕らには、終戦などというあいまいな単語はなかった。敗戦…
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異常な猛暑でみんなへとへとになっている。夕方どこの家でも打ち水をし、縁台に団扇があって、浴衣姿でスイカを食べる。あの夏は何処へ行ってしまったのだろう。チリチリン…と風鈴が鳴ると夏の贅沢の総仕上げだった…
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今年もまた軽井沢ラブソング・アウォード作品募集の季節がきた。もうざっと10年続いているラブソング公募のイベントだ。僕の役割はまず40名近くいるチャーター・メンバーに今年のテーマをプレゼンするところか…
プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞