Kazuhiko Hoshino
の記事一覧
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この春、事務所の引っ越しをした。国道18号ぞいと信越線にはさまれた離山の旧事務所は目につきやすいとても便利な場所だったが、ひっきりなしに国道を走る車の騒音と電車の疾走するノイズに絶えず悩まされていた…
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アヤパンこと高島彩は成蹊学園の後輩ということもあり、なんとなく気にかかっていたが、年内で寿退社という運びになったようだ。フジでは「めざましテレビ」の後任にとりあえず生野陽子を立て、切りたかった大塚範…
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美しさに自信のあるアラフォーの主婦が離婚を決意した時。アラフォー雑誌の隅から隅までチェツクし、読者モデルの公募状況を把握する。自身のカラダ・データーを計測し、ただちにエステに通い婚前90日コースに準…
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大学4年になると話題はいつも「卒論のテーマ決まった?」「週末は神田へいって文献探し!」学生時代最後のエネルギーを卒論に費やした気がする。卒論をきちんと書いて学士号を貰って卒業する。それが当たり前だつた…
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1972年の秋、ヴェニスの街を彷徨っていた。前年に見たヴィスコンティの映画「ヴェニスに死す」に触発され、コレラの流行で黒く痩せ衰えた人々のかたわらで感染した家や寝具を焼く炎のなか、少年タジオへの想い…
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政治家を志す若者は、まず大学の政治経済学部を目指した。東大法学部という官僚へのエリート・コースを除き、早稲田大学、中央大学といった六大学の政経コースは、星雲を志す学生の気運にみちていた。そこで歴史と…
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先日どっさりと松茸が送られてきた。この時期松茸が送られてくるのは珍しい。それも立派な竹籠に入れられて、由緒正しい空気をかもしている。送り主はとみればまだ30そこそこの若い姪である。松茸もはんぱの分量…
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ついこの間まで本屋にも歯医者にも韓流ドラマのポスターが張ってあった。「世界一悲しいお顔が似合うひと」と献辞し、冬ソナのロケ地は日本のオパサン観光客で賑わっていた。ビデオ全部持っているから見なさい、と…
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円高対策に関する緊急会見。野田佳彦財務相による記者会見とあって、おおかたのマスコミは打ち出される政策に対する期待をもって集まった。そこでの大臣の発表は「政府日銀連絡を取り合って、さらに注意深く見守っ…
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ふと、「池上彰そうだったのか、学べるニュース」を見てしまった。近頃人気の高いニュース・バラェティと聞かされていた。新聞には「米軍イラクから撤退のワケ」とあった。いかにもNHK出身の記者らしく、抑制的…
プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞