Kazuhiko Hoshino
の記事一覧
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本郷西片町のこども時代、夏が近ずくと楽しみは「風鈴やさん」だった。 赤門前のダルマに「氷」の旗がたつと、風を受けた氷旗のひらめきの向こうに、風鈴の音がきこえた。 梅雨のあけるのと一緒に路地の向こうか…
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この時期になると、ホトトギスの鳴き声が待ち遠しくなる。 ホトトギスは郭公ともいい、時っ鳥ともいうが文字にすると「不如帰」が好きだ。 湯川に小さな鮎解禁の旗がたつ頃、カッコーの声が聴こえてくる。 軽井…
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これからは「育休」といわないで「育業」と言いましょう。 晴れやかな顔をして小池東京都知事がカメラの前で宣言していた。この人の脳ミソが理解できない。 子育てまで商売の糧にしようというのか。 「業」とい…
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消費者が気が付かないように密かに値上げするのを「ステルス値上げ」という。 価格は据え置いたまま、重量、容量を減らして実質的な値上げを実行する。 せんべいが18枚から16枚に変わっている。 チョコレー…
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韓国歴史文学のなかでもっとも彼らが愛する貞女の物語「沈清伝」を国際劇場で一か月間上演、演出したことがあった。 第一回ソール・ハイファッションの演出を担当したこともあった。 縁あって韓国の人とも色々と…
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リドと言えば、パリに於ける2大キャバレーショウのひとつ、もっともゴージャスなレビュウの中核をなしていた。 コロナによる被害がこの三年つづき、結局現在のキャバレー・シアターを維持していることが不可能と…
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コロナの終りとともに話題を呼んでいる「渋谷の歩くタブレット」である。夕方5時頃から歩き始めて9時まで歩いているらしい。渋谷駅中心にエリア指定があり、タブレット付きのリュックを購入しなければならない。S…
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遅ればせながら、「軽井沢ぶんか組 春」は『歌舞伎の伝統と今日』です。 阿国歌舞伎、女歌舞伎、若衆歌舞伎、野郎歌舞伎、元禄歌舞伎、上方歌舞伎、 近松門左衛門、鶴屋南北、歌舞伎十八番、江戸三座、芝居小屋…
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ウクライナがロシアによってタイヘンなことになっているこの時期に、日本の國会ではもっと大変なことがおきていた。 憲法改正より敵基地攻撃能力よりもウクライナ救援よりも、もつと大事なことに60人の議員さ…
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〽しれとこの岬に ハマナスの咲く頃…… 森繁久彌さんが1962年の紅白歌合戦で世にひろく披露して以来、30人近い歌手によってカバーされた名曲である。 「知床旅情」 後に日本国有鉄道ディスカバー・ジ…
プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞