Kazuhiko Hoshino
の記事一覧
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黒い羽織を脱ぐと、うらは真っ赤な色模様だったり、控えめの付け下げの着物を解くとあでやかな朱の襦袢だったり、裏や下に粋な趣向をこらす文化は日本の伝統衣装にあった。 欧米の洋服にもそうした美意識はあった…
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…雨あめ降れ降れ母さんが、蛇の目でお迎え嬉しいな…昭和の風景である。歌舞伎なら、助六が花道で大見得をきるとき、蛇の目の和傘がさらなる助六の大きさを演出する。破れ番傘には黒沢組の三船敏郎がよく似合う。…
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軽井沢エキ展「発熱するニューヨークの自然」も無事一週間の終わりを迎えることができた。多くの仲間からお盆の最中にやるとは何事というお叱りをいただいた。が終わって見ると思わぬ方が足を運んで下さって、あら…
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いい歳をして悩みは字の下手なことだ。もう何十年も書いているのに、一向に字が安定しない。ある時はカナクギ流、またある時はデザイン文字、著書にサインを求められたり、芳名簿にサインをするのに筆を出されるた…
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ヴァブルがはじけ、テレビ局の貧乏につけこんで一気に登場したのが、吉本、松竹芸能を中心とした関西系お笑いタレントだった。台本も道具もいらず、金のかからないお笑い番組は、不況テレビの救い主だった。がこの…
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東洋の魔女といわれて、はや半世紀以上たっている。 鬼の大松監督により徹底的な回転レシーブの一本槍により、守りに徹した女子バレーが世界を制した。 以来スポーツの話題は、つねに女子が独占してきたような気…
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日赤が被災地仙台の地下鉄に資金集めのポスターを出したと聞いて、開いた口がふさがらない。委託された義援金もくばらず、被害の全体像が把握できてから分配するという、被災者の心知らずのお役所仕事にはあきれた…
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「発熱するニューヨークの自然」と題して久しぶりの写真展を開いた。 3.11直後ニューヨークにいつて、9.11以降の街の表情とニューヨーカーの今を撮影してきた。3000カツトばかりから60点をえらんで…
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夏になるとそこここに「冷やし中華始めました」の張り紙が眼についた。 冷えは万病のもと、体温が1度下がると、免疫力が3割落ちるから、とやかましく言われて育ったせいか、冷たいものはなるべく食べないように…
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ヤバイ!という感嘆詞が若者たちのあいだで、やたら使われている。 会いたくない人にたまたま会ってしまった。ヤバイ! その程度の使われ方は前からあったような気がする。翻訳すれば困った位の軽いヤバイ!だろ…
プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞