Kazuhiko Hoshino
の記事一覧
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「モモ膝三年シリ八年」作家吉行淳之介の「酒場のたしなみ」に書かれた言葉である。 キャバクラから高級クラブまで、隣席の姫たちはお酒がすすむとともに客のモモや膝に手をそえてくるが、この行為はアナタのお話…
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深夜なにげなくNHKテレビを付けていたら、「街角ピアノ」が映し出されていた。 取材と言うほどでもなく、定点観測のようなゆるい映像だったが、深夜の山岳映像のように環境テレビにはまっていた。 通りかかっ…
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在位70年に及んだエリザベス女王の逝去に伴って、王族に関するいろいろの事が改めて話題になっている。 チャールズ皇太子は無事チャールズ国王となり、スキャンダルの対象だったカミラ妃も、女王の遺した言葉に…
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正力・巨人とともにテレビ界をリードしてきた日本テレビが、遂にというべきか、明日の生残りをかけて地上波を見限った。 数々の名番組を制作してきた日本テレビだったが、情報過剰時代のなかの地上波の明日に縁切…
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かって軽井沢は偽ブランドの聖地だった。 旧軽井沢銀座と呼ばれるロータリーの先の商店街が舞台だった。 あの頃の旧軽井沢は、偽ブランドとタレント・ショップの花盛りで賑わっていた。 若者たちは軽井沢で偽ブ…
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歌舞伎のなかでも、もっとも華やかで目出度い興行が「襲名披露」である。 歌舞伎という伝統演劇が次代へ伝えられ、ますます盛んになるための襲名披露という芸の受渡しが重要になる。 十三代市川團十郎襲名という…
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テレビドラマ「国民の僕(しもべ)」で、普通の高校教師が政治家になってしまった役を演じたのが、ゼレンスキーという喜劇役者だった。。 政治的に全く無力だったゼレンスキーは、テレビというメディアによって生…
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日本人女性初めての西洋画家、ラグーザ玉は、コスモスが結んだ恋から生まれた。 明治9年芸大の前身、工部美術学校が開校、そこに学んでいたのが芝・金杉の清原玉という女性だった。 教師としてイタリアから来て…
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上野の韻松亭(いんしょうてい)に初めていった。 本郷に生まれて何をしてたと言われそうだが、90年その機会がなかったのだから仕方がない。 たまたま小伝馬町の姉さまに連れられ、晩夏の上野へ処女訪問という…
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バリから帰国したとき、友人たちが集まってパーテイを開いてくれたのが、六本木のキャンティだった。 キャンティは開店してまもなく、手作り風なインテリアが、それまであった東京のどの店とも異なった魅力ある雰…
プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞