Kazuhiko Hoshino
の記事一覧
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いよいよ北陸新幹線が金澤まで行くことになった。 長野でも軽井沢でも、その対策に懸命になっている。長野では駅の化粧替えに忙しい。つい数年前の長野オリンピツクの折に新しく作られた長野駅が、使い物にならず…
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都知事選を前にし、次々と名乗りをあげる候補者を見てガッカリした都民はさぞ多かったことだろう。 猪瀬前知事が徳洲会の5000万円で失脚したのだから、次はクリーンなイメージと思ったら、佐川急便のブラック…
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混浴温泉が無くなろうとしている。 現在、混浴温泉のある宿が470軒、共同湯・野湯も190湯前後で、合計600数十湯、21世紀になってから半減したと伝えられる。 その大きな原因は、最近の貸切風呂ブーム…
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仁義も礼儀もあるものか、自分が目立てばすべてよし。 とする近頃の風潮が、あからさまに見えたのが恒例紅白歌合戦だった。 25歳のガキタレント大島優子は、紅白の功労者として50回のステージを務めてきた北…
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正月のテレビをいくつか見た。 驚いたことに新年の華やぎがまったくない。 振袖姿の司会者が少ない。撮り貯めてあったお笑い番組には、新人のアナなどが如何にもの振袖姿で並んでいるものもあった。がほんの少し…
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12月31日…という日は色々の想いが交錯する。 長い間人間を務めていると、なおさらだ。若い頃は、来年こそ、来年こそ、の想いにとらわれていたが、この歳になると、不覚にも今年も無事で、などという当たり前…
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近大マグロその後の試食報告である。 養殖不能と言われたマグロが近畿大学水産研究所の不屈の努力によって、成功したというニュースはとても嬉しい出来事だつた。がいつも付きまとうのは、あの大間のマグロに負け…
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イヴの日、細長い小包がパリから届いた。 ドキドキして開けてみると、縦20㎝横40㎝厚さ2.5㎝程の本が出てきた。 Arnaud Roi と Sylvie Bessard の PARIS という表紙が…
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子供は完成品ではない。子供は半製品なのだ。 肉体的にも、精神的にも、ましてや能力的にも。だからより素晴らしい大人に成長することを願って、子供を外形的に、大人が利用することを厳しく規制してきた。 戦後…
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歌舞伎役者がラブリン等と呼ばれて喜んでいる風景はあまり好きではない。 歌舞伎愛好家が片岡愛之助をラブリンと軽く呼ぶ筈はないからだ。このカルイ情報社会で、歌舞伎の人気を作り出すのは、歌舞伎を見たことの…
プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞