Kazuhiko Hoshino
の記事一覧
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夜の10時過ぎ、何気に民放のワイドショーが眼にはいった。 多局から移ってきた30がらみの女性司会者が吠えていた。「唐突に反撃能力といわれても、私たち国民には判らない。もっと説明してくれないと乱暴だ!…
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コロナの蔓延で人々が不安になった状態から抜け出し、日常を取り戻した象徴的事件がパリに出現した。 なんとパリ下水道ミュージアムが再開した。 パリの下水道はオスマンのパリ大改造によって出来た世界的な遺構…
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戦後の日本人が沖縄に抱いてきた贖罪と愛情について、全く理解していないのが、玉城デニーという沖縄の権力者だ。 ひょつとすると玉城デニーは、中国共産党の工作員ではないか、とさえ思ってしまう。 那覇市に拠…
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学生時代のロングドライブ、東海道…国道一号線をひたすら走って京都へ行く。 仲間の2台か3台の車とともに日本橋からスタートした。すねかじりの仲間ゆえ、車はせいぜいコロナか、ブルーバード、ヒルマンに乗っ…
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前の大勧進の貫主はひどかった。 地元の女子アナとの色事にふけり、もっともらしくお軸を書きまくり、売りまくっていた。 ある時、魯山人の器でいただく茶事の席を共にしたことがあった。初めから器の値段ばかり…
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早稲田大学以下日本中に「孔子学院」を作って、教育覇権を目指している。 金を出してくれる、という条件にころがる学校側に問題はあるが、日本人の中国にたいする無防備な対応はあまりに酷い。 すべて習近平と中…
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サッカーW杯カタールで日本チームがクロアチアに負けた。 八強への夢は冷や水とともに消え去った。 これでようやくメディアに蔓延していたサッカー熱も少しは平静さを取り戻すことだろう。 ここに至るこの国…
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何故か「かや」と名乗る古い友人がいる。 若気の海外逃避行を手伝ってくれたり、オペラのパンフレットに一文を寄せてくれたり、思い出したように近しい距離になる不思議な友人である。 普段はまったく忘れている…
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日本平へは昔久能山東照宮の取材でいったことはあったが、記憶はとっくに飛んでしまっている。 今回のお招きは処女旅行のようなものだ。 第一印象はそのキャッチの如く「風景美術館」に相応しい素晴らしさだった…
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往年の歌劇のスターたちが顔を揃えて「巴里を唄う」コンサートにお誘いを受けた。 宝塚からは安奈淳,汀夏子、古城都、寿ひずる、日向薫など、SKDからは春日宏美、その他 由美かおる、夏樹陽子など、シャンソ…
プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞