Kazuhiko Hoshino
の記事一覧
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「撮り鉄」 「乗り鉄」 「駅弁鉄」 「バリ鉄」 「音鉄」 「葬式鉄」…… こんなに沢山の鉄があることを、不覚にも知らなかった。ここまで細分化した鉄道マニアって、なんだろうと考えてみた。 しなの鉄道…
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松竹少女歌劇でもなく、宝塚歌劇でもなく、第三のレビューとして人気を集めていたのが、日劇ダンシング・チームだった。 女だけの松竹、女だけの宝塚にたいして、日劇には男と女のダンサーがいた。 女が化けた男…
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セコマは凄い。 北海道で学生生活を送ったA君は、僕の青春はセコマにあった。 すすきのに恥を落した単身赴任のB君は、セコマのお蔭で飢えなかった。 新婚を札幌に過ごしたCさんは、セコマに随分助けられた。…
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ファッション業界にイモンカケと言う言葉がある。イモンカケのことではない。 痩せたモデルのことである。モデルが肥っていると洋服の雰囲気をこわすので、モデルは痩せていることが最上とする考え方だ。 たまに…
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軽井沢町議会議員立候補者全員による合同演説会のコォディネーターを依頼された。 恨みを買ってあたり前、まず感謝されることのない損な役割りである。企んだのがこの町の青年会議所、俗にいうJC。比較的町のリ…
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小渕優子議員の明治座慰安会疑惑のほとぼりもだいぶ覚め、松島みどり議員のウチワといわれれば、ウチワかもしれない事件も忘れられた頃、故中川昭一酔っ払い大臣の妻、中川郁子議員の路チュウ事件が発生、…
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「スマホ依存症は知性、個性、独創性にとって害毒以外のなにものでもない。スイッチを切って、本を読み、友達と話をし、自分で考えることを習慣づけよう。」 信州大学入学式に、山沢清人学長から、新入生2000…
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東京駅にタクシーで乗付る客は皆怒っている。 八重洲口ではつい最近まで停車する場所がなく、危険をとして道端で降りていた。すれすれにクルマが走っていくので危険きわまりないが、ほかにクルマから降りれる場所…
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四代目中村雁治郎襲名の舞台をみた。 襲名披露のための「芝居前」と呼ばれる趣向が楽しかった。江戸時代から伝わる祝典劇だが、芝居小屋の前に出演俳優が顔を揃え、公演の成功をを始め、歌舞伎の繁栄を願う一幕。…
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1960年代後半から70年代にかけて、グルメを自認する若者や社長さん族は銀座の角のソニービルの地下に足を運んだ。そこにパリの名店マキシム・ド・パリ東京店があったからだ。 パリの本店を忠実に再現したア…
プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞