Kazuhiko Hoshino
の記事一覧
-
どうしてもゼレンスキーに会いたい!! 一度ならず二度、三度とアプローチを賭けていたのが、日本の岸田文雄首相である。 G7 HIROSHIMA サミットの前になんとかして戦時下のウクライナを訪れ、ゼレ…
-
イタリアで春を迎える祭りといえば、「オレンジ祭り(Battaglia delle arance)」だ。 北イタリアの小さな町イブレアでひらかれるのだが、 町の広場を中心にこの日すべてがオレンジ色に染…
-
最近、やたらパンダの話題が多いと思ったら、今年中にシャンシャンとやらを中国に返さなければならない、という現実に改めて向かいあっているようだ。がテレビでは、カワイイ、カワイイの連呼で、パンダの担ってい…
-
降り積もった雪をそっと開けるように春を告げる「雪割草」、こんなに沢山の雪割草があるとは思わなかった。 「雪割草」には可愛いというイメージが付きまとう、頬っぺたを少し赤くして冷たい空気にハッーと息をは…
-
去年からまとめていた芸能界全範についての異論反論についての出版が、ようやくまとまり、この春発刊の運びとなりましたのでお知らせいたします。本のタイトルは「エンタメ・メディア一刀両断」サブタイトルに「芸…
-
子供の頃は「紀元節」だった。戦争に負けたおかげで「建国記念の日」になった。神武天皇が奈良畝傍山の麓で、建国の宣言をし初代天皇になった。それで充分なのだが、戦後学者や教育者が寄ってたかって、あれは真実で…
-
鳩居堂のたおやかな和紙の封筒にはいった「恋文」がおくられてくることを夢見た少年時代があった。 2月10日は「封筒の日」だそうだ。いまでは封筒にはいってくるのは、宣伝用のダイレクト・メールか、請求書ぐ…
-
祇園甲部の歌舞練場が7年間の時を経て、ようやく新開場を迎えた。 この春の都をどりは久しぶりに祇園甲部のまんなかにもどって、花街の伝統、習俗と密着した「をどり」となることだろう。 歴史ある歌舞練場にそ…
-
「初めまして……」「初めまして……」 「じゃ、これから強盗にいくぜ。」「へぇ」「ホシの場所は判っているな。」「へぇ、、テレグラムで確認してやす。」 初対面の数人が連れ立って強盗に出掛ける。 「ところ…
-
「メン地下」と言われても、普通人にはなんのことか理解できない 。正しくは「メンズ地下アイドル」という。 10代の娘さんの居る家庭ならば、娘さんに早速解説していただけることだろう。 用例としては「私の…
プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞