Kazuhiko Hoshino
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”おにぎりの三角四角に母の味” おにぎりのかたちは昔から丸 三角 四角のどれかと決まっていた。 体育会系の元気な友達はいつも大きな丸いおにぎりをほお張っていた。三角のおに…
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国会前のSEALDsシールズによる戦争反対フェスティバルはようやく静かさを取り戻した。 政治に無関心な若者たちが立ち上がったと、新聞やテレビは報道していたが、どうも実態は違うという報道が散見する。 …
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いちばん初めに大声で壇蜜を応援したのは、福山雅治だった。 その福山雅治の関心が、吹石一恵に移って世の女性たちはキャッーとどよめいた。 かんじんの壇蜜だが、デビュー以来5年の歳月を経たがあまり変わった…
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「アンサンブル軽井沢」なるチャンバー・オーケストラがある。 陶芸家なのにファゴットに捕まったムッシュー、田植えの機械を作りながらヴァイオリンに頬ずりする人、旦那の転勤次第であしたは何処へのヴィオラ無…
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男と女の壁がなくなってきた。 メンズ・ファッションとウイメンズ・ファッションがこれほど知かずいた時代をしらない。デバートはメンズ館とレディス館を分けて商売をしているが、ジェンダー・ミックスの時代には…
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歌舞伎海外公演でこれほどがっかりしたことはない。 ラスベガスのホテル・ベラージオの噴水池での出来事だ。 市川染五郎の歌舞伎海外公演と銘打って「鯉つかみ」を数分上演した。ベラージオの劇場でやるというの…
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死んだときの衣装は昔から白装束と決まっていた。 白い和服を左前にきせ、三角の天冠を頭に、白い脚絆に白い手甲、草履を履かせ、笠、杖、ずだ袋には三途の川の渡し賃に六文銭をいれる、これが冥途の旅の正装だっ…
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いっときの能力開発本ブームも去り、いま本屋の店頭で力を発揮しているのは、「日本大好き」本のブームだそうだ。 世界が日本に夢中なわけ(宝島社) 外国人が愛する美しすぎる日本(大和書房) やっぱりすごい…
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東北大学金属材料研究所といえば、東北の輝ける名門というより世界の輝ける名門だ。 「東北大の金研」は、この印籠が眼に入らぬか以上の威力がある。 さかのぼれば第一次世界大戦後の、KS鋼(寄付者の住友吉左…
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アムネスティの売春合法化についで、光文社から「はじめての不倫学」が出た。 著者は現代の性問題に取り組んでいる坂爪真吾さんだ。政治家のまえでいくら倫理を唱えようと、週刊誌の見出しから不倫がなくなること…
プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞