Kazuhiko Hoshino
の記事一覧
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戦争のかたちが全く変ってしまった。 前世紀的な国家間における武力戦争は、広島・長崎への原爆投下で終わったのかもしれない。 アフガニスタンやイラクにおいて、米軍と多国籍軍によってあれほど軍事力を投入し…
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20年に渡って松代の地で頑張って来た池田満寿夫美術館が閉館した。 池田満寿夫は長野出身の版画家であり、芥川賞作家でもあった。小布施の竹風堂という栗菓子の名店が、池田の作品に惚れコレクションしたのが、…
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足より細いタイツをはいていた女性にタイツといって叱られ、レギンスよと言われレギンスと言い直し、日本には昔からももひきというアイテムがあって同じだな、とウンチクして嫌われたことがあった。 とにかくカラ…
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2017年……この夏はとても変な夏だった。 台風は思わぬ方からきたり、熱帯夜が続いたり、軽井沢も御多分にもれずリゾートとはいえない不愉快な夏だった。このままけじめも無く、秋になるのはどうも気持ち悪い…
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野田聖子総務大臣が何かにつけて、テレビ画面に登場するようになつた。 総務大臣拝命直後「私は次の総裁選挙に立候補します」と宣言し、一部政界から入閣したばかりで、なんといやらしい女と顰蹙をかったが、実は…
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子供のころ、尊敬する人のことを「先生」と呼んだ。 先生を批判することはなく、先生の言うことは少しばかりおかしいと思っても、絶対的な存在だった。だからかかりつけのお医者様は先生だったし、学校の先生も先…
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盆踊りの季節もおわり、残された問題は騒音問題だそうだ。 戦後、モーター社会の朝ぼらけと共に町中を支配したのは、クルマの警笛だった。そこらじゅうでクルマの警笛が鳴らされ、人間は虫けらのごとくに追い払わ…
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学生時代、カメラはWELLというどこが作ったかも判らないカメラをつかっていた。 カメラ仲間のボスは、ライカをもっていた先輩である。ライカは憧れだったが、手が届かなかったので、ライカの持ち主はごく自然…
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中国の領土的野心が止まらない。 南沙諸島においてはすでに7つの人工島をつくり軍事基地化しているが、マレーシア沖マラッカ海峡の入口に新しい島を作り始めた。500ヘクタール規模の人工島で、軍港機能と空軍…
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道の駅ならぬ海の駅が160駅もあることを知らなかった。 道の駅はどこへ行っても、野菜市場が主役で片隅に簡易食堂がついている、というのが定番になっていて、ごくまれに東京のお笑いをよんでイベントなどをや…
プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞