オシャレ それとも悪趣味

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 ベストドレッサーという言葉もだいぶ根付いたようだが、近頃のメディア業界の衣装の出鱈目ぶりは凄い。
 主としてテレビ画面から放出される映像のなかで、テリー伊藤の悪趣味ぶりには困惑する。もはやシャベクリ芸人の悪目立ちがナリワイとなれば、あれもアリかと思うが、世界中の手品師を超えている。
 かってファッション・デザイナーだったドン小西の衣装も桁外れだ。ましてや無責任な週刊誌が、彼にファッション診断などさせるため、誤解は広がるいっぽうだ。吉本上がりの貧乏芸人もとりつくしまがない。田舎の純真な子女が、あれがファッションと勘違いして、パリを目指したりするから、困るのだ。
 小説家の志茂田景樹などは、近頃たいぶ大人しくなったので、被害を被らずにいるが、一部の組合の人々がテレビの画面を占拠すると、とんでもないことになる。
 フィギア・スケートの選手の趣味の悪さも特筆すべきものだ。キャバクラで学んだのかと思うほどに趣味が悪い。スポーツ業界の人に言うと、ああ名古屋が多いですから、と軽くいなされるが、少しはインターナショナルな感性もみがかれた方がいいのでは、と感じる。
 ヘストドレッサー賞のグラビアをみても、堀北真希の貸衣裳風やら、夏木マリのタテガミ付きゼブラ・ドレスには驚いた。彼女は大根足を隠したい願望が強く、ああしたドレスになるのかも知れないが、ベスト・ドレッサーではなく、演芸用衣装くらべなのだ。 なによりも当日出席してくれるタレントのスケジュールに合わせて選考している裏事情が丸見えになっている。
 突然登場した安倍昭恵首相夫人の、スポンサー向け白ルックのほうがはるかにベスト・ドレッサーに近い。なにしろ電通出身のファースト・レディなのだから、パブリシティの壺は心得ている。
 


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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