胸にゆるキャラのバッチを付けたファースト・レディ…この場合は皇后陛下のご下問。
「可愛いですね、くまモン。くまモンは何人でやってらっしゃるの?」あわてたのは熊本県知事、「いえ、あの、くまモンはひとりということになっておりまして…」くまをひとりと呼ぶのも可笑しいが、一匹とか一頭とかという言葉も瞬間的に出てこなかったのだろう。
黒と赤と白という明快な色使いで「くまモン」は一気に人気第一位に登りつめた。ゆるキャラの評価については、女子供の「カワイイ」という形容詞しか見当たらないが、遊園地でもあるまいし、何時から日本人の感性はこんなに低級になったのだろう。
所詮ヌイグルミはヌイグルミ、子供たちは喜んでも、いい歳をした大人が興奮する対象ではない。ところが今や日本中がゆるキャラごときで大騒ぎしている。くまモンは1000億の経済効果があったとか、全国どこでも下品なゆるキャラを作り、登り旗を立てて声を上げている。
浜松などは駅なか、駅前、目貫通り、コンビニ、デパート、商店街などいたるところに幟が立ち、ポスターが貼られ、「出世大名家康くん」に一日一票投票しましょう、と呼びかけている。 市長を中心に市職員36名からなるゆるキャラ選挙対策本部を設置し、更に大手広告代理店に予算拠出して、総選挙に臨んだというから馬鹿バカしい。代理店は「マラソン」に次ぐ、商売メディアとして「ゆるキャラ」を手に入れたのだ。
「AKB総選挙」に始まったタレント馬鹿は、「B級グルメ全国大会」の食欲馬鹿に受け継がれ、「ゆるキャラ総選挙」に及んで、役人・代理店・オバカを巻き込んでの仁義なき戦いとなった。
経済効果第一のこの国では、際限のない金の亡者の争いが続く。 「いい加減にせい」 という声なき大人たちも結構いるということを信じて、今しばらくこのバカバカしい風景に付き合うしか仕方ないのかも知れない。
呆れたゆるキャラの仁義なき戦い
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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