小泉純一郎元総理があちこちで吼えている。
「原発即時ゼロ」を宣言し「やろうと思えばできる、問題は指導者だ」とお得意の安倍現首相を仮想敵に仕立てての発言だ。ご無理ご尤も、おっしゃることへの反論はない。
が彼は総理当時「原発推進派」だった。その後勉強してみたら、やっぱり後処理が出来ないことが判った、だから反対だ、という点にひっかかる。
国民は日本の舵取りを、すべて彼に託していたのだ。それも5年の長きに渡って日本国の総責任者の地位を与えてきた。
竹中平蔵と組んだ彼は、市場原理主義をかかげ、弱肉強食を奨励し、弱いものは市場から退場せよ、と血も涙もない政治を強行した。「民で出来ることは民で」という民営化推進にもすべて特定勢力への利権供与という裏があった。「郵政三事業の民営化」はアメリカの長年にわたる念願で、350兆という巨大な国民資産をハゲタカ・ファンドの前に差し出した。 「住宅金融公庫の廃止」は銀行業界の悲願で、旨味のある住宅ローン・ビジネスは見事に公庫から銀行業界へ移転した。 「道路公団の改革」にしても貴重な国民資産である道路を、特定の資本の傘下において利用するという恐るべき政治だった。
良く判らないが、小泉さんかっこいいと支持する層、あまりIQの高くない主婦・子供・シルバーを中心にしたB層を軸に、政権支持率を作り出し誘導したのが小泉内閣だった。
地方の信用金庫は情け容赦なくつぶされ、それに支えられてきた地場産業も次々と壊滅した。気がついたら駅前は総てシャツター・タウンになり、美しい日本の田舎は破壊され尽くした。
一国の総理や大統領を務めた人間は、離職したのち在任中の仕事を静かに反芻し、国民のために何をしたか、を考えることこそが、政治家のモラルではないだろうか。
小泉元総理のモラルを問う
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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