店は有楽町のガード下にあった。度々通った。
舞台稽古の合間を抜けて帝劇から3分、空腹を充たすためだ。
店の名はわすれたが、江戸前のイナセな親父さんと、白い割烹着の小母さんがカウンターのなかで働いていた。たまに若い娘さんが手伝いにきていた。お茶を出すのが娘さんの役目だったが、うっかり遅かったりすると、容赦なく親父さんは怒鳴りつけた。娘さんは肩をすくめ舌をちょっと出しニコニコしながらお茶出しをしていた。親父さんの怒鳴り声には客も慣れていて、娘さんの笑顔に同調して笑っていた。
みんな善意の人たちだったから、誰も怒鳴り声を咎めなかったし、ましてやセクハラだと抗議する人などいなかった。親父さんの怒鳴り声はBGMのようなものだった。
メニューはとんかつ定食か焼き魚定食、豚肉のかたまりをどんと出して捌きながら、いつも自家製のパン粉の自慢をしていた。キャベツを刻むのは小母さんの仕事だったが、キャベツは刻み方で味がちがうと、親父さんのウンチクはつづく。 言われてみると、あのキャベツはとても美味かったような気がした。
お喋りに夢中になって箸の止まっている客には、”うちのとんかつは揚げたてが勝負だからね!”とかましていた。焼き魚定食の客には、その日の仕入れ自慢がつき、河岸の親父のようでもあった。
添えられた大根下ろしは、魚によって違っていた。ある日は鬼おろし、あるときは雪おろし、安い定食のなかに親父さんの思いがいっぱいつまっていた。
帰りがけ、美味かった、美味しかった、の客の声に答える親父さんのシアワセそうな笑顔と「毎度!」の声が忘れられない。
ガード下を探したが、その店は何処にも見当たらなかった。
有楽町ガード下の定食や
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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