春の若葉の見事さに増して、いま森のなかの紅葉は筆舌につくせない。
つい10日程前まで、今年はなんという秋の衰えと思っていたが、いっきに彩ずいて、森はいま赤いシンホニーを奏でている。
猛暑の狂気、豪雨、地震と末世の覚えに、ほとんど諦めかけていた秋が押し寄せた。
「ななかまど」の紅葉が先達となって見事な朱い実をつける。森の魔除けと云われている朱い実は野鳥たちを誘いだす。
「朴の木」の一尺ほどもある大きな楕円の葉が、黄色に、褐色に、あるいは緑を残してアバンギャルドな情景を作る。
「イロハカエデ」の緑は、黄褐色へのグラデーションが美しく、所々に赤い葉先が声をあげる。
気がつくと「白樺」の繊細な葉も半分ほどになり、ちいさな黄色を残して幹の美しさを引き立てている。
白樺派、お坊ちゃん達の文学ゴッコと揶揄されながらも、大正期のおおらかな理想主義は軽井沢によく似合う。有島武郎と文壇のマドンナ波多野秋子の、歓喜のなかの心中も、白樺に誘われてのことではなかったか。
夏の庭のアクセントになっていた「野村もみじ」の控えめの赤が急に華やかさを増して炎の赤に変わるのも最後の舞踏会のようである。
こうした木々の営みは、「落葉松」の紅葉で大詰めを迎える。風のある日、黄色になった落葉松の尖った葉が雨あられと降りそそぐ。眼を明いていられないほどの落葉松の針が、森の小路も道路も車もみごとに黄色に染め上げて、秋の幕引きを果たす。
浅間山の頂は、知らぬ間に雪をかぶっている。
晩秋の赤いシンフォニーが踊って
コメント
プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
コメントを残す