マツコ・有吉・曽野綾子

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 「誰が好き?」と問われることが間々ある。
 次元も違うし一緒にするのは失礼承知のうえで、今好きなのは「マツコ・有吉・曽野綾子」と答える。
 マツコについては、言うまでもなく、女装コラムニストとしての生きザマが好きだ。オカマであることに無理がないし、並居るオカマのなかでただ一人、論が際立っている。ただ戴けないのは、女装の部分だ。あれで女装といわれては、安っぽすぎる。女装には女装なりの格がある。
 有吉はちかごろ冠のつく番組などやるようになって、かどが取れてきた。局やスポンサーへの気使いから、つまらなくなってきた。彼らしい彼本来の味を失いつつある。
 いま一番面白いのは、なんといっても曽野綾子さんだ。曽野綾子さんとは、生まれ年、生れ月、生まれ日が全く同じながら、人間にはこんなに才の差ができるんだと、時に反省の鏡になっている。
 聖心女子大の文学部を出た彼女は、有吉佐和子らとともに戦後の才女時代を築いた。いかにもカトリック教育を受けてきたという慎み深かった昔より、最近の社会に向かって発言する彼女はとても魅力的になってきた。
 昔から「カマトト追放」とか、「大説ではなく小説」とか、「悪と不純の楽しさ」と、いかにもの痛快なエッセイはあったが、競輪協会の会長や政府の審議員をするようになって、文学者としてのポジションよりオピニヨン・リーダーとしての発言が多くなった。
 「出産したら会社をやめなさい」「産休をとる女たちの他人迷惑」「いい人をやめると楽になる」「善人はまわりの人を不幸にする」「人にしばられず自分をしばらない」「努力しても解決できないことがある」「自分の不幸の原因は他人」と考える不幸、「失敗のない人生はない」。 耳に心地よい美辞麗句だらけのなかで、率直に警句を発する曽野綾子さんは、イマデショの存在なのだ。
 


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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