軽井沢高校70周年を祝って

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 軽井沢に高等学校が生まれて70年が経った。
 その式典で、記念講演をして欲しい、という依頼をいただいた。
 僕自身は70年間軽井沢と付き合ってきたが、卒業生ではないので果たしてその任に適切か、どうか迷ったが、折角のお話だったのでお受けした。会場は大賀ホール、本日11時からの一時間だった。
 地元の圧倒的多数が卒業している高校なので、同窓会の記念集会とあれば、おおかたの軽井沢のボスやら、議員さんやら、多種彩々のお客様がみえた。
 高校が生まれた1943年という年に「今日は赤ちゃん」と言う曲で大ヒットした梓みちよさんが生まれていた。加賀まりこさんも、樹木希林さんも、みな1943年生まれだと知った。
 小学6年生だった僕は「撃ちてし止まん」「米英撃滅」のさなか、戦争に負けるなどとは露知らず、学徒動員の文字に踊らされていた。
 あの頃の軽井沢は「ケイベンの軽井沢」だった。そこから話が始まり、わが国初めてのカラー映画「カルメン故郷に帰る」の「総天然色の軽井沢」、千ケ滝グリーン・ホテルにおける深紅に燃える軽井沢高原の「ゼミの軽井沢」、雲場の池の「初恋の軽井沢」、そして「スケートの軽井沢」から「テニスの軽井沢」、遠藤周作さんやら、安倍公房さん、北杜夫さんたちの「作家の軽井沢」、西郷輝彦と辺見マリの聖パウロ教会における始めての「結婚式の軽井沢」、所ジョージ・ウインク・ピンクレディ・山田邦子・タケシのカレーや・辰ちゃん漬け等タレント・ショップだらけだった「バブルの軽井沢」、そして今日の「アウトレットの軽井沢」まで、僕自身のメディアに於ける仕事の変遷とからめて、話を進めた。
 幸いにもおおかたのお客様から、面白かった、楽しかったの言葉をいただき、台風の余波に怯えるなかのホッとした土曜日だった。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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