「広告は文化」ではなく麻薬だ

by

in

 天野祐吉さんが亡くなられた。故人はすこぶるのお人柄だったので、残念を捧げたい。
 がその論点に関して、多いに疑問をもっていた。
 新聞紙上では、「広告は文化」捉えた開拓者…などと持ち上げているが、とんでもない「広告は麻薬だ」と筆者は考える。
 ここ半世紀の物質資本主義に寄生して拡大してきたのが、広告というジャンルにほかならない。代理店という存在もまた強欲資本主義の走狗だ。 広告と代理店はセットになって、庶民の物欲を刺激してきた。
 天野さんは、広告代理店をへて広告批評など手がけるようになったので、物質資本主義に対する視点を持っていなかった。些末なレイアウト技術やコピーによって優劣をつけ、「広告は文化」と寄り添ったが、広告の害毒にたいしては無関心だった。
 テレビ・コマーシャルへの肩入れも大変だった。東北大震災の折のACCコマーシャルに於ける金子みすゞの詩の陳腐化、今日のゲームCMのアコギなテクニック、それらはまさに広告の弊害そのものだ。
 アメリカのおかげで物質資本主義が無責任に拡大し、ものが差異のない過剰に陥ったとき、広告が出動する。広告の制作技術や巧みなコピーによって庶民を消費に導く。 際限なく消費行動を刺激し、ものの浪費の作戦本部が広告であり、そこに寄生するのが広告代理店だ。
 生産者も消費者もいったん広告に手を出したら止められない。巨大な広告費はモノの原価に含まれ、庶民の価値観を混乱させ、購買動機を形成していく。広告に麻痺した庶民は、モノの本質と広告によって作られた虚像の区別がつかなくなり、すべて広告に頼ってモノの基準を決めるようになる。広告に出ないものは、いかがわしいモノになってまう。ここに広告によってゆがめられた不幸な物質文明がある。
 「広告は麻薬」以外のなにものでない。物質資本主義社会には、告知と情報を超えたところに広告という麻薬が待ち構えている。広告リテラシーを持てというのは、庶民には重すぎる。   


コメント

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です


プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


カテゴリー


月別アーカイブ