女性アスリートについてよく言われていることがある。
大人になると駄目になるアスリートが多いということだ。
楽屋雀のあいだでは、あいつは女になったから今シーズンは駄目だろう、というような言い方をする。おおやけに発言すると、セクハラとか偏見とか誤解を招き、指弾されるのでみなチャックしている。
フィギヤアみたいな全身を曝してやるスポーツだと、観客にも変わりつつある肉体があきらかになるので、その辺は開き直って演じるしか方法はない。
安藤美姫の場合、実にはっきりしている。
15歳前後の頃颯爽と類いまれなテクニックを身につけた少女として登場してきた。
がすでにあの当時から女への渇望が内在していた。取り上げた曲が「火の鳥」と「カルメン」情熱がほとばしらなければ理解できない音楽だった。
そして第二のピークは2010年から2011年のシーズン、ニコライ・モロゾフというコーチを得て、連戦連勝だった。 大人になった彼女は「夜の女王」を取り上げた。メークアップの凄さはまさにお色気120パーセントで、見ているこちらがドキドキしてしまう程のオーバー・メークだった。
週刊誌はには、常にモロゾフを帯同し、大会ツアーにも余人をいれないとあった。彼女は多分恋をして、恋に狂ったのだろう。
モロゾフと別れた彼女は休養を宣言したが、いっぽうでアイス・ショウにでまくっていた。
そして今年、出産を告白した。子供は隠したまま。
父親についても隠したまま。スポーツ・ジャーナルは赤ん坊の写真さえ撮れれば、想像はつくのだが、と
ぼやいている。そして9月ひたちなか市での復興支援アイスショーで、彼女は私の曲名は伏せろ、書くな、と記者たちに強制した。余程高名な作曲家の作品かと思えば、シナトラの唄ったただの「マイ・ウェイ」、子供でも知っているカラオケ定番の痛い名曲だ。
名アスリートも恋に狂って以来、体はくずれ、常識も欠落してしまったのだろうか。
安藤美姫は女に狂った
コメント
プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
コメントを残す