満員になってもわずか30人、しかも一人一泊62万円から98万円、この超豪華寝台列車に九州人すべてが、喜んで歓迎しているとは思えない。
沿線の各市長が挨拶に出向き、霧島市では4400人の小学生が小旗を振ってお出向い、111本の幟で出迎えたのは鹿児島神宮、列車の止まらないうきは市では鉄橋のよこにWELCOMEの人文字を作って手を振って歓迎したそうだ。
沿線の人たちは初めて列車をみたわけではない。天皇皇后が来られた訳でもないし、ジャニーズやAKBの御成りでもない。いわば正体不明のプチブルが旅を楽しんでいるだけだ。
ひたすら富裕層目当てのJR九州の考え方は、アベノミクスには沿っているかもしれないが、低賃金にあえぎ、わずかばかりの消費税に怒っている庶民には、かなり遠い現実である。
かって欧米の列強が世界中に張り巡らした植民地政策そのものなのだ。富裕層の楽しみを見せつけて、大衆にクラス社会への参加をあきらめさせる。そこから革命運動がおき、社会主義が育っていった。
地元に経済効果をもたらし、知名度が上がると、行政もいうが、そうした物欲資本主義はあまり気持ちのいいものではない。ましてや子供達まで動員して旗振りをやらせるなど、モンスターピアレンツがよく黙っていると感心する。
博多駅のななつ星ラウンジでは、ベルリン・フィルのメンバーによる演奏があったと無批判に報道していた新聞もあったが、小金持ちの客に日本を紹介するなら、郷土の民族芸能など見せた方がよほど喜ばれたのではないか。JR九州は旅人の心が判っていない。柿右衛門の洗面器で顔を洗ってもいっこうに嬉しくない。
ななつ星を歓迎する貧乏人
コメント
1件のフィードバック
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九州が、勘違い路線に突入したのは、宮崎のマンゴーが売れた頃からと、認識しています。
勘違いの弊害が、鳥インフルエンザ、牛の大量処分と、大自然からダメ出しメッセージをもらっているにも関わらず、また勘違いに突入しています。
次は、どんなダメ出しがでるのか少し怖い気持ちです。
プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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