女子高3年生が、かっての交際相手との別れ話がこじれて殺されてしまった。
テレビも週刊誌も一斉に犯行に及んだ男をなじっている。勿論男は悪い、とんでもない奴に違いない。
週刊朝日などは、ストーカーから娘を守る為には、と専門家の特集を組んでいる。専門家は、被害者をひとりにしない、護身グッズを身につける、地域力で監視する、と信じられないオバカなことを提案している。
その上、管轄の違いから杉並署より三鷹署のほうがいい、といった警察署員がいかにも悪いといった書き方だ。
が立ち止まって考えてみると、かの女子高生は一年生の時から、かの男と付き合っている。フェイス・ブックに自分をさらして、交際を始めた。 それも京都の男を東京三鷹台の自宅まで呼んで、招き入れている。ベットの上でじゃれ、下着を見せ、フェラまでして写真をとらせ、遊んでいたのだ。普通の高校一年生が、みなこんなことをしているとしたら、あまりに悲しい。親の優しさ、無責任さにあきれる。
両親は芸術家だとか、叔父さんは高名な作家だとか書いているが、要はしつけの出来ていない不道徳な女子高生なのだ。彼女はタレントとしてすでに活動し、将来の夢は女優だ、と宣言していた。
下等な人間の、淫乱で未熟な女子高校生の末路だった、ともいえる。
池永チャールストーマスなる身長180センチの男を許すわけにはいかないが、彼をそこまで狂わせてしまった
鈴木沙彩なる女子高生は、水商売の女も及ばない奔放な性の達人だったのだ。別れたいから助けてくれといわれても、頼まれた方が迷惑する。 親や本人にもかなりの責任はあるだろう。
いまネット上に、生前の本人の恥ずかしい映像が氾濫している。いちど流れた映像は永遠に世界中を漂う。
だからフェイスブックなど止めろ、というのだ。
リベンジ・ポルノに託したストーカーの復讐
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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