サロネーゼの昨日と明日

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 30代40代の女性達のあいだで、いちばん人気のビジネスは、サロネーゼと呼ばれる仕事だそうだ。
 サロネーゼはおおむね恵まれた家庭に育っている。ヴィトンのバックもルブタンの靴も当たり前、欲しいと思えば何時でも手に出来る環境に暮らしてきた。
 働くおじさん達の苦労も、起業の産みの苦しさも知らずに、シアワセな青春を送り、大人になってから突然にサロネーゼを志す。
 手始めにパリに行く。コルドンブルーの料理学校あたりで、8000€払い即席の10週間コースでフランス料理、またはお菓子を勉強してくる。料理が面倒ならチーズ教室も、お花の教室もある。パリに一杯あるそうしたレッスン・ビジネスにとって日本の子女は最上のお客様、半数は途中でノイローゼになりいなくなるそうだが、裏ではカモと言われている。
 フランス語のディプロマを貰えたら万歳、教室のアクセサリーとして、故郷に何時までも飾られる。
 広い自宅があれば、とりあえず応接間やサロンを使って始める。甘い親たちは何でも認めるので、暖冷房ガス水道完備・家賃タダの状態から始める。始めから家賃を払って起業しようという女性は少ない。
 趣味の延長線上、ちょっとした経験…たとえ3ヶ月の短期留学であっても、私はフラワー・デザイナーなの、私はシェフよ、といった看板で口コミの弟子を集める。ときに両親の集客力が物を言う。
 数人から始めても、あの方フランス帰りなのよ、という噂話はかなりの効力を発揮し、サロンは結構に流行る。フリザード教室、ワイン教室、紅茶教室、お菓子教室、ジュエリー教室、数え上げたらきりがないほどにあちこちに存在する。
 軽井沢にもいかにものサロネーゼのカフェなど次々と出来るが、二、三年経つと止めてしまう店が多い。その頃になって、ようやく雪の日も身体不調でも、働かなければならない、ということに気がつくのだろう。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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