久しぶりに宝塚を見た

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 月組、東京宝塚劇場の公演をみた。
 ミュージカル「ルパン」とグランド・レビュー「Fantastic Energy」だ。
 まずルパン役の龍 真咲だが、いかにもの優等生の怪盗でまったくカリスマ性がなく、ルパンの秘めたカロリーを感じなかった。 社交界の花形カーラ役の愛希れいか、線が細く取り巻きに囲まれている魅力にとぼしく、少女のコスプレといったところか。ルパンの原作者ルブランが随所に登場するが、いわゆる男役仕立てで他の登場人物とまぎらわしい。思い切ってもっと老け役にすれば、とも思った。
 舞台装置も大きなアールヌーボー風な窓のモチーフで転換を計っていたが、肝心のそれを支える枠が様式不在の大道具ではルパンの活躍した時代背景が浮かんでこない。 作者の狙ったルパン・最後の恋は消化不良のままに終幕を迎えた。
 二部のFantastic Energy ズカお得意のピカピカ・きらきらのレビュウだ。
 あまりの電飾の見事さに照明も仕事をさせてもらえない。衣装も綺麗には違いないが、所々素材の選択を間違えて重くなっている。もう少し軽く薄い素材で作れば、振付の歯切れやスピード感もでたろうに、と思われる景がいくつかあった。
 群舞の多さも気になった。ソロかと思うとすぐさま客席に正対しての群舞になる。衣装だけの違いで、ユニゾンを踊らせるのは、あまり感心しない。踊りの重層性も少し考えて欲しい。
 それと気になったのは、ソリスト達のブラックアウトする前のドヤ・ポウズだ。思い切ってドヤ・ポウズする。オーバーを通り越して少しばかり嫌味になる。贔屓を満足させる工夫に自己陶酔が重なって、歌舞伎の見栄も負けてしまうといった過剰な表現だ。 
 それでも久しぶりの宝塚は楽しかった。 


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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