クロアッサンで朝食を

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 「私にプラスティックを食べさせるの。クロアッサンはスーパーではなく、パン屋で買うのよ。」
 85歳のジャンヌ・モローの投げつけた強烈なセリフが耳について離れない。裕福だけど孤独な老夫人フリーダの気難しい毒舌が、エストニアからお手伝いに来たアンヌに投げつけられる。
 ルイ・マルの「死刑台のエレベーター」、フランソワ・トリフォーの「突然炎のごとく」などヌーベルバーグのフランス映画にとって、ジャンヌ・モローはいつもマドンナだった。
 イギリスからパリに出稼ぎにきた踊り子を母にもつ彼女は、うちに秘めた情熱とうつろな表情に不思議な品格をたたえて、1950年代から60年代の名監督たちに愛された名女優だった。
 そのジャンヌ・モローが85歳の今、かって仲良しだったココ・シャネルの作ってくれた衣装を身につけて、つまり全部自前の衣装で、老いを曝している映画がこの作品だ。よほどシナリオが気にいったのだろう。
 子育てに追われ、やっと解放されたとき、気がつけば人生もなかばを過ぎたアンヌにパリで働かないか、という誘いが舞い込む。老夫人フリーダのお世話だ。依怙地で孤独な老人とお手伝いの、憎しみと愛情に満ちた日々がたんたんと描かれる。二人に共通するのは、悲しみと孤独だけ。
 監督イルマル・ラーグの母の実話がベースになっている。がこの緻密な演出を助けたのは、女流脚本家のアニエス・フォーブル、「8月の終わり9月の初め」「感傷的な運命」など彼女の作品をみれば納得する。
 がこの作品を日本でヒットさせたのは、配給会社の宣伝部だ。なにしろ原題は「パリのエストニア人」、面白くもなんともない。かっての名画を彷彿とさせる「クロアッサンで朝食を」とは、なかなかの才だ。 ル・モンド以下フランスのメディアは絶賛の嵐だったと伝えられている。
 


コメント

1件のフィードバック

  1. メガ関のアバター

    星野和彦さま、いつも新たな気付きをいただき、改めて感謝申し上げます。素敵な映画評、全く存じ上げなかったので、是非拝見したくなりました。
    今日はもしかして、お誕生日ではございませんか!??!?!?!
    本日、改めまして、日々もたらしてくださる多くに、心よりの感謝と、この日のお祝いを、厚く、申し上げます。

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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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