雅子妃のブランド信仰

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 ファッション雑誌では、ブランド衣裳に身を包んだスターやモデル達がグラビヤを飾っている。
 騙されてはいけない。コレクションの廊下で写真になっている女優やモデルはあらかたお仕着せで、ギャラを貰って演じているサクラがほとんど。コレクションのスケジュールが決まると作品作りと共に、当日のお客様のさくら選びのキャスティングもひそかに進められ、代理店が活躍する。なかにはさくらのギャラ100万円のモデルもいるというから驚く。
 善良な市民はまんまと騙され、ブランド信仰が更に高揚される、といった寸法だ。
 ヨーロッパのセレブ・ブランドが日本ほど持て囃される国はない。遠く離れたアジアの果てに国があるという地理的な理由ばかりではなさそうだ。戦後の貧しさからすこーし抜け出したとき、そこにエルメスやグッチがあった。シャネルに眼がくらみ、ルイビィトンに憧れた。
 自分自身の感性で服をえらび、色をコーデする楽しさを忘れてしまったのかもしれない。
 パリ娘は決してあからさまなブランドには手を出さない。これ見よがしのブランドを身につけるのは、野暮の骨頂といった価値感をもっている。ブランドを感じさせないで自分のスタイルを造ることがオシャレの王道なのだ。
 そのアングルからみると、雅子妃殿下のファッション・センスは最悪といわれても仕方ない。ブルガリの宝飾品、シャネルのバック、ディオールの新作、等等、まさに成り上がりの下品な趣味だ。ましてや小学生の愛子さまに、グッチのトート・バツクを持たせるなど、そんへんのモンスター・ママと変わらない。
 皇室への国民の尊崇の心を、端から壊している浅はかなオコナイだ、ということが判っていない。これはもはや病気の問題ではない。つつしみ深いこの国の皇室を壊す為、黒宇宙から派遣された魔女なのかもしれない。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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