東名高速道路がない時代、東京から京都へクルマで行くには国道一号つまり東海道をひた走った。
優に半日はかかったので、途中何処で食事をとるか、それが楽しみのひとつでもあった。
第一候補は静岡を過ぎ、大井川を渡ってまもなく丸子の宿、広重の東海道五十三次その20番目に描かれていた丸子の宿「丁子屋のとろろ」だつた。
江戸期の弥次さん喜多さんと時空を超えて共有できる、眼のまえの麦とろに興奮した。丁子屋は浮世絵そのままの茅葺きの茶店で、慶長元年創業のたたずまいをそのまま今に残していた。
主役は400年歴史に名を残す伝統の味、土づくりから汗する自然薯、裏の味噌蔵で半年発酵させた白味噌、地卵、そして自家製の削り節で出汁をとった味噌汁、野趣溢れるすり鉢にどーんとでてくるとろろ汁は自然薯のちからが漲ったなんともいえない美味さだった。台になる麦飯がまた素晴らしい。麦飯は木の香りの立つおひつの中でしっかりと自己主張し、シンプルでピュアな田舎めしの魅力に溢れていた。
丁子屋の土間には、ときの政治家、財界人、文人、映画スターなどの色紙がいっぱいに張り出され、今風にいえばミシェラン五つ星といった茶店だった。
最近、その「とろろ飯」を看板にした古民家レストランが出来たというので、早速に駆けつけた。軽井沢塩沢の近くだ。なかなかに趣味のいい和モダン、家具のひとつひとつにも神経がいきとどいている。イケメンの中年に近い二人の青年が立ち働いている。やがて民芸風のうつわに盛られたとろろ定食が運ばれてきた。
箸を下ろしてガッカリした。やまと芋、いちょう芋のゆるいとろろでは、話にならない。これではファミレスのとろろ定食だ。プロの和食やなら、自然薯を使うのは常識だろう。味噌汁も不味い、出汁をちゃんと採っていない。漬物も駄目。インテリヤや衣裳にこだわる近頃の若者のアンハランスな感覚は恐るべきものだ。
店をやっている青年たちは、母親から正しい味噌汁を食べさせて貰えなかった、その事が歴然とわかる和食屋だつた。
とろろ汁は自然薯にかぎる
コメント
1件のフィードバック
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とても魅力的な記事でした。
また遊びに来ます!!
プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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