民主党時代、「事業仕分け人」と称する御用学者や有識者が大流行した。
何かというとそれらの人々が集まり、タレントよろしくテレビを意識して発言した。外部の目をいれて行政の透明化を図るといったお題目が、とても正しいように映った。行政刷新会議という尤もらしい組織はやがて構想日本というダンビラに育ち、田舎の小さな自治体にまで手を伸ばし、事業仕分けという名前のプロダクションになった。田舎の町は自ら考えることを止め、仕分け人という名の役人、御用学者に丸投げした。
安倍首相も前回に教育改革を唱え、多くの学者、役人、有識者、スポーツマンを集めて盛大に会議を開いたが、何ひとつ実らずに辞職した。
このところマスコミを賑わしているのは消費増税のための有識者会議だ。半分以上が御用学者、それに文化人、実業家、女性などを加えて体裁を整えている。官僚たちは自分らの望む方向に結論が出るようにたくみにキャスティングしている。それが単なるガスヌキのためのセレモニーと判っていても、マスコミは何も言わずに尻馬にのって報道する。
審議会や有識者会議がこんなに流行りだしたのはいつの頃からだろう。
自ら責任をとりたくない大人にとって、こうした会議は絶妙な隠れ蓑になる。これは皆さんの総意ですから、と言葉たくみに予定調和に持ち込むのだ。
これは国家百年のためにこうしなければならない、と信念をもって断言できないのだ。国造りばかりではない。ちいさな街づくりでも、いちいち審議会やら会議がしゃしゃりでる。
オスマンのパリ街づくりはわずか17年で完成させた。そこにはすぐれた建築家と卓越した一人の思想家がいたのみで、役人や御用学者は不要だった。
国も田舎も会議は踊る
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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