左岸のフランス学士院と右岸のルーブル宮を結んで、セーヌ河に古典的な造形の橋がかかっている。
1804年、ナポレオンの命令によって造られた長さ155メートル、幅11メートルのフランス初めての鋼鉄製の橋梁に木道が乗った、車は通れず人間のための素朴な橋だ。ポン・デザール(芸術橋)という。
1997年、当時のシラクパリ市長により、京都鴨川にこの橋のレプリカを寄付するという話が持ち上がった。パリ京都姉妹都市40年を記念してとのことだったが、先斗町の女将さんたちの猛烈な反対で潰されてしまった。いまこの橋の佇まいをよく見てみると、鴨川の四条大橋の向こうにこの橋があったらさぞかし似合ったことだろうと思う。
この橋ポン・デザールが何時の頃からか、愛のパワーポイントに変わった。
誰が始めるともなく橋の両側のフェンスに「約束の錠前」愛の南京錠を掛けるようになった。恋人たちはこの橋に来て、果てしない抱擁を交わし、錠前をフェンスに取り付け、鍵をセーヌ河に投げ捨てる。お互いに愛は永遠に変わらないという誓いの橋となった。
板張りの橋のうえにはベンチも設えてあるが、どこでも寝てしまうフランス人は橋に横になって愛を確かめあったり、欄干に体を預けてベーゼを交わしたり、二人座り込んで沈む夕陽をいつまでも見ていたり、フェンスには何千個の錠前が取り付けられて、新しい恋の入り込む余地もない。
時に市当局は見苦しいという理由で南京錠を撤去するが、すぐに無数の愛の錠前に占拠されてしまう。
その間を縫い、メモを片手に大きなペンチで錠前を切り回収している若者たちがいる。多分愛の冷めたカップルから依頼されてのNPOではなかろうか。約束の錠前も時に恥ずかしい。
今もポン・デザールは、溢れんばかりの愛の錠前でキラキラと光っている。
愛の聖地のパワースポット
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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