37番目は第二の性の橋

by

in

 セーヌ河はパリの街中を15キロ流れ、37の橋を持っている。
 一番古い橋はシテにかかる新しい橋の意味を持つ「ポン・ヌフ」、そして一番新しい橋は上流にある「シモーヌ・ド・ボーヴォワール橋」、この橋は国立図書館と対岸のベルシー公園を結んでいる。
 長さ106メートル、幅12メートルのこの橋には橋桁はなく、凸レンズの断面のような未来型デザインの人間と自転車のための橋であり車は通行不可、2006年に出来た。
 折から議会では同性婚容認が議決されたが、オペラ座の周りでは連日反対勢力が集まって、同性婚は神を冒瀆するものだとデモを繰り広げている。
 第二次世界大戦後初めて「性」の問題を提起したのは、この橋の名になっているボーヴォワールだった。
「人は女に生まれるのではない。女になるのだ。」と主張して第二の性を提唱した。つまり彼女はいま盛んに言われているジェンダー論の元祖であり、田島陽子の神様なのだ。
 サルトルと契約婚をし、哲学論争とチーズ作りに優っていたカミュに心を移し、さらに父レーニンの葬式で見初めたトロッキーを追いかけて、奔放な性を送ったボーヴォワール、その人の名がセーヌのもっとも新しい橋の名前になつている。サルトルが死んだとき、心情を求められ「……別に。」と答えたと伝えられるが、どこかの国の駆出しの女優のようでもある。
 モンパルナスのサルトルの墓に、ボーヴォワールの名がともに刻まれているのを見て、「…サルトルも可哀想」と言った若くないジェンヌの優しさを想い出す。
 この橋のたもとに立つと、工学的な未来形だけではなく、男と女の明日が見えてくる。
 


コメント

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です


プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


カテゴリー


月別アーカイブ