日本のB級グルメが溢れている。

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 日本食の多さにはびっくりする。
 オペラ座からルーブルに向かって歩くと、間もなく左側にスタバがある。そこを左折して一番先に眼にはいるのは「京子」の看板。京子は毎月の売り出しテーマがはっきりしていて五月は冷凍もののセール、店は村の火の見の隣にある小さなスーパーといったたたずまいだ。感心したのは、パリのパン屋には絶対にないカレーパンとアンパンがあった。日本のB級パンのエースともいえる品揃え、なかなかの味だった。
 「京子」からすこし行った角には、ラーメン・餃子・丼物の「KADOYA」がある。右に曲がるとそこは予想だにしなかったレストラン・ジャポネーズの密集地帯。「ひぐま」「SAPPORO」を始め、ホッとします日本の味の「来々軒」、「AKITA」「料理天国・游」「大勝軒」「金太郎」、行列のできるコッテリ・ラーメンの「なりたけ」、近頃人気は、出た大阪の味・たこ焼き、牛すじ、中華そばの「浪花YA」、等々どこまでいってもジャパニーズB級グルメの店が続く。お好み焼きランチの店は、近所の働くジェンヌ達から絶大な人気を得ていつも満員、客の前で焼くオープン・プレートの分厚いお好み焼きが興味の的、焼きあがったお好み焼きのあとのプレートに油を引いてちからまかせに綺麗にする、あらためて焼く調理システムに眼がテンになっている。
 ラーメンを看板にする店はパリ中に沢山あるが、その多くは中国人、韓国人による店で、やっぱりサービスの質や清潔感が違うために、パリジャンからは敬遠されている。
 食品店も、パリ市内宅配無料サービスの「十時や」がある。やはりクロネコの国ニッポンの心が、パリでも奮闘している。
 


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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