メイド・イン・PRC って?

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 変わり身の早さ、に於いて中国人にまさる民族はない。
 三年ほど前の春、パリの中国レストランが食品取扱いの不衛生で摘発され、人気のあった中国料理店から一斉に客が逃げた。そのあと彼らがとった行動は厨房を清潔にすることよりも、まず看板を塗り替えた。
 昨日までのチャイナ・レストランが一斉にレストラン・ジャポネーズや、ラーメンヤにかわったのだ。日本のレストランには清潔のイメージがあったため、即座に変身したとパリジャンはビックリした。料理人もフロアもすべてそのまま、メニューの先頭にラーメンが来たぐらいで、見事に日本料理店に変わったのだ。
 尖閣問題、鳥インフレ、毒入り餃子とこのところ連続して起きている事件で、中国の評判が地に落ちている。そこで彼らが考えたのは、「メイド・イン・チャイナ」からの脱却、すなわち看板を変えることだつた。 そこで急速に増えたのが、「メイド・イン・PRC」People’s Republic of China というのは中華人民共和国の英文名なので嘘はついていない。シャツの裏にも、ジーンズの腰にも、電化製品のうしろにも、「メイド・イン・PRC」、深読みしない大多数の庶民は、どこかの後進国のことだろうぐらいにしか考えずに、PRCグッズの世話になっている。
 世界の大都会に必ずある中華街をみても、彼らのたくましい商魂には頭が下がる。
 まず町を中国の色彩でいっぱいにする。あらゆるクラスに対応した店をつくる。町の中央には彼らの信仰する祠をつくる。そして毎年祭りを繰り広げる。メディアが取り上げる。結果として町はどんどん広がり、その国に定着するのだ。こうして世界中に中華街が出来てきた。
 21世紀は中国とアメリカの世紀と言われているが、果たして国名の付け替えだけでいいのだろうか。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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