フラッショモブ軽井沢

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 情報化社会というのは、不思議なものが流行る。
 あちこちから自然発生風に集まり、無意味な行動またはアクションを共に実行したのち、無意味な目的を達成すると、即座に解散あちこちに散っていく。
 今日ほどインターネットが普及していなかった頃は、オフ会と称するネットでの知り合いが歓談を目的に集まっていた。ある時、いつものカフェに行くと、その日に限って満員、カウンターの片隅に座ってお決まりの紅茶をいただいたのだが、店に流れる空気がいつもと全然違う。友達のような、他人のような、ある種の信仰団体に共通する不思議な空気に支配されていた。その後、SNSの選択肢は急速にふえ、ツイッター、フェイスブック、ブロク゛その他もろもろのお友達ネットが生まれた。
 でもPCで繋がった人間同志は、どこまでいっても実態がなくフィクションの世界にいきているので、ストレスがたまる。その発散方法のひとつとして、フラッシュモブが登場してきたと、言われている。
 インドのムンバイでは、突如人が集まって踊りだした。大阪駅付近では、だるまさんが大量発生した。トロントでは、枕を抱えた群衆が集まり、とつぜんお互いを枕で殴りだした。数分枕バトルののち、なにごとも無かったように人々は消えた。
 バースデー、結婚式、母の日、ショツピング・モール、パチンコや…どこでもフラッシュモブは出来る。
 軽井沢だったらと想いを巡らしてみた。駅に犬連れで集まり、一斉に高い高いをするフラッシュモブ。ショツピング・モールでは、バナナを携帯にしてそこいら中で電話するフラッシュモブ。役場の広場では、死んだふりフラッシュモブ、大賀ホール前ではみんな寝るフラッシュモブ……口コミや話題を呼んで、山の病んだオタク達が続々と集まってくるかもしれない。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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