女将のおもてなし

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 「女将」という響きは耳に心地いい。女将にはマイナスのイメージがないからだ。
 成熟した女性の心使いの代名詞にも思える。女将が全部心得ているから、とか、女将に任せておけば大丈夫、とか、女将がなんとかしてくれるさ、といった甘えの構造に答えてくれるのは、ほぼ其処此処にいる女将に間違いない。男性にとって、勿論女性にとっても、女将は働く女の大将なのだ。
 「女将のおもてなし弁当」宮城松島編、絶妙なネーミングの駅弁に出会った。日本三景「松島」の女将が監修!松島の魅力である島巡りをイメージし、女将ならではの真心で作り上げたおもてなしのお弁当です! キャッチコピーの背景は、身も心も乱れのないよう気を引き締めて渡らねばならない、足元に海の見える透かし橋と松島のシンボル五大堂…ふたを開けると、見事におもてなしの献立がつまっている。
 先付は菜の花と花小海老のお浸し、焼き物は名物牡蠣とほうれん草の柚子味噌田楽、揚げ物は小海老とあさりのかき揚げ、奥松島では見渡す限り潮干狩りをしているが、松島のあさりは特上の美味、よもや駅弁で出会えるとはシアワセ、さらにアカモクと呼ばれている旬の藻華揚げ、しし唐の素揚げが添えられている。そして煮物は飛竜頭がんもどきにクコの実、がんもどきは東北一の禅寺瑞巌寺のお精進の主役なのだから、まずい訳がない。強肴にはまぐろの竜田揚げ、酢の物にもういちど牡蠣のマリネをそえ、ご飯はうなぎ飯と牡蠣飯、香の物代わりにとあさりと海苔の佃煮が入っていた。
 僅か1100円の弁当に、これだけのおもてなしがあれば云うことなし、松島の一流旅館に泊まり、「松島や ああ松島や 松島や」 の気分を味わった「女将のおもてなし弁当」であった。
 


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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