”大工町寺町米町仏町老母買ふ町あらずや つばめよ”
”情死ありし川の瀬音をききながら 毛深き桃を剥き終わるなり”
寺山修司が亡くなってもう幾年月経ったことだろう。あの頃彼は渋谷並木橋のほとりに天井桟敷館なるものを建て、そこを根城として活動していた。短歌は孤独な文学だが、これを大事に抱えていかなければならない、といつもいっていた。 その彼が亡くなって、短歌と向かい合うことを忘れていた。
久しぶりに 「麝香Ⅱ ベリーダンスに」 と題した短歌に出会った。
”ふと触れてきて音楽 いつも尖端に晒されているから 恋のように”
”ゆっくりゆらそれからゆうるり 腸骨の揺れの動きは乳房からのはじまり”
”腰も胸も肩も長すぎる髪も 揺らさるるべきすべてが揺るるときのよろこび”
”たったひとつの軸のからだに欲しければ 「内転筋」は呪文のことば”
”極彩色に入り乱れつつ 出番待つ女の群れとあへて呼ぶべし”
”おもふすなはち反応したり 踊るというどうしやうもなく 丸ごとのわたし”
西村美佐子というこの作者の想念が、一直線に入ってきた。どのような方なのか全く知らないが、ここにあげたいくつかの歌から充分に想像できる。肉体に振り回される感性をいっぱいに楽しみながら、といいたいが苦しみながら宿命的に踊るベリーダンサーのひとりが浮かぶ。
山頭火の孤独に似た内面に生きる一人の女性なのだろう。久しぶりに短歌に心ゆさぶられた。
出番待つひとりの女
コメント
プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
コメントを残す