気がつくと高原の春はそこまできている。 テレビは隅田川の桜便りを伝えているが、軽井沢の桜はまだまだかたい。白いコブシの花が春を告げてから、ようやく桜の出番になる。
春の序幕は、黄色い花に始まる。レンギョウ、ヤマブキ、ゲッケイジュ、サンシュユなどが、ひっそりと春を運んでくる。森のなかの黄色は、森の小さな昆虫たちへのハニートラップだという。自然界にも蜜の罠、甘い落とし穴が用意されている。自然界のハニートラップは、種の保存への仕組みで得心させられるが、国際間の謀略戦争も計り知れない。
先日、アメリカの戦略核兵器の配備計画や、弾道ミサイルの探知能力がハニートラップによってダダ漏れだったという事件があった。太平洋軍司令部の元将校ベンジャミン・ビショップが、32歳年下の美しき中国人留学生に引っかかった。上海の日本人向けカラオケ店で働く中国人美女によつて、日本総領事館電信官は自殺したし、海上自衛隊の一等海曹も嵌められている。
筆者も旧ソ連から革命五十年記念のご招待を受けた折、飛行機を降りたその時から、ナターシャという美しい秘書がついた。一か月間の滞在中、彼女がすべての面倒をみてくれた。スケジュール調整からクルマの手配、見学希望の許可、夜ホテルの部屋に戻るまで完璧に世話をしてくれた。お金を使わせてくれない。食事も資料や本の購入もすべて彼女が清算してくれる。拂おうとしても拂わせてくれないのだ。不幸にも重要な機密にかかわる立場になかったので、なんのメリットも無かったと思うが、彼女はいつもメモをとることにエネルギーを消費していたように思う。
ケネディに近ずいたマリリン・モンローは、FBIやCIAの監視下にあったとそのスパイ説は根強いが、ルパン三世の峰不二子のごとく、ハニートラップは決して絵空事ではないようだ。色仕掛けの諜報活動は、国際間では常識になっている。
ハニートラップ・美しき罠
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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