歳を重ねると、著作にサインしろとか、ここに座右の銘を、といわれあわてることが間々ある。
うんちく臭くなったり、上から目線の自署だったりするのは避けたいという意識が立ちはだかる。
「祝祭の色」とか「軽井沢のほん」にはいつも「祭りの幸せ」とか「風の幸せ」とサインしてきた。そろそろモデルチェンジしなければと少し考えてみた。
夏目漱石の「そんなら死なずに生きていらっしゃい」訪ねてきた女の悲しい人生の結末について、生か死かと問われて答えた一言。 「悟りとはいかなる場合でも平気で生きること」正岡子規34歳の言葉、いずれにしてもかなり上から目線だ。
スティーブ・ジョブス゛の「ハングリーであれ、愚かであれ」このほうがましかもしれない。「人間はいかに円くとも、どこかに角がなければならぬ」明治の起業家渋沢栄一の心情だ。
アスリートばやりのなかでは、はだしの王者アベベのいった「最強の敵は自分自身だ」に納得する。最悪の言葉は「自分で自分をほめたい」といった有森裕子、あのへんからアスリートの芸能化が始まったような気がする。野口みずきの「走った距離は、裏切らない」のほうがずっと共感できる。
「一期一会」とか「和をもって尊しとなす」いずれも何も考えていない時の慣用句みたいなもので、そんな座右の銘はいらない。結婚式の祝辞みたいなものだ。
東北大震災のとき猛烈に流行ったみすずの言葉も、あまりに正しくて空々しい。
自分には胸を張れる専門がない、とずっと悩んできた阿川佐和子の「いつも喜んでいなさい。」このほうが好きだ。出典が新約聖書というのが、気に入らないが「神様の箸休め」だと納得しよう。
「いつも喜んでいなさい」
コメント
1件のフィードバック
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うそっぽいキャッチで、私が気になるのは、最近よく耳にする、「」霊長類最強のアスリート」霊長類のくくりを緩くすれば、人類だけを霊長類と呼べなくもないが、ゴリラやオラウータンと喧嘩をして勝てる人間がいるとは考えられません。どちらも保護動物なので、対人間のマッチメークも無理なのを知って白々しく言っているのでしょう。ウソっぽい極みです!
プロフィール

星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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