八万四千匹のねずみと猫の大立ち回りが、初芝居をかざった。
舞台上にそんなに多くのねずみをだすことは不可能なので、ざわざわと列をなす子ねずみ達と、役者の扮した中ねずみが三、四十匹、巨大な作り物の大ねずみ、そのねずみ達の妖術と戦うのは、猫の霊力を身につけた尾上菊之助、とその父菊五郎。
…歌舞伎の大立ち回りは普通、泥棒と捕方だったり、仇同士の決戦場だったりするものだが、妖艶な美しさにみちた菊之助の三浦屋新造胡蝶ただひとり、果敢にねずみ達との立ち回りは見事だった。胡蝶は牛若丸よろしく竈から竈へ、釣瓶から重ね膳へと、さすが若さの軽い身ごなしで、宙を飛びながらチュウチュウたちとの立ち回り、それに伴奏の囃子が、いつのまにかディズニーのマーチに変わっていた。
アメリカ製のミッキーマウスはいい鼠かもしれないが、日本の伝統的ねずみたちは概して妖術を操る悪い鼠が多い。造りものの大ねずみは、菊五郎の発するレーザー光線によってもろくも崩れ落ちるのが、大ウケの趣向だった。江戸芝居の大問屋といわれた河竹黙阿弥の没後120年に当たっての「夢市男伊達競」だつた。
国立劇場と菊五郎劇団による復活通し狂言はなんとも楽しい。近づきにくい歌舞伎芝居を充分に娯楽として再構成しているし、ほどほどの実験もあってただの復活ではない。有意義な新しい歌舞伎になっている。
スーパー歌舞伎のような頑張り過ぎでなく、勘三郎のような媚もなく、劇場演劇を踏まえた新しい伝統娯楽として成功している。
ねずみと猫の初芝居
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プロフィール

星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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