公務をしないという公務

by

in

 この国は「公人」と「私人」の区別がつかなくなり、わがまま放題の許される社会になってしまった。
 民主党の政治はまさに、マニフェストと言う公的な約束を大威張りで反古にした典型的な例である。
 四年の期限を切って立候補、選挙に勝って知事になった人間が、平気で責任放棄する。公的な約束のもとに選ばれた人間が、途中で職場放棄しても誰も何も言わない。
 小さな島を買うと言い出し、寄付を集め、国が買わざるを得ないところまで追い込み、結果隣国との国境紛争というとんでもない事件を惹起しても、何事もなかったように政治家に立つ。日頃うるさいメディアも触らぬ神にたたりなしとばかり、反応なし。
 絶対安全といっていた原発が事故を起こし、何十万人の人々が家を失い土地を失っても、誰も責任をとらない。除染除染と囃すだけで、学者も政治家も知らん顔だ。
 公人の劣化としてもっともひどいのが、皇太子妃かもしれない。
 20年間に及ぶ結婚生活のうち、10年間は療養と称して宮中祭祀を行っていない。公人としての皇室参加行事にしてもほとんどドタキャンが多い。たまにでてきても娘の運動会だったり、娘の旅行にまとわりついたりで、ほとんど公人としての認識は感じられない。
 「銀座の食事や姉妹との会食、御所でのパーティには明るく振舞っても、公務はもっぱら体調不良」 私的な外食やパーティはご自由にさせるというのが、大野医師とやらの治療方針といわれるが、さすがその状態が10年も続くと、じつは適応障害ではないのではないか、という声が内部から上がっている。
 新しい時代の公務と皇太子はいうが、「公務をしないという公務」が皇太子妃の日常になってしまったのではないか、という疑問が浮かんでくる。


コメント

1件のフィードバック

  1. 毒は上から下に流れて行く、官僚組織を表すこんな格言を思い出しました、元を正せば、無理矢理くっつけるからこうなったと言う意見もありますが、婚期を遅らせたのも宮内庁の責任である事には違いありません。
    何十年もかけて構築した、事が起きた時に、責任の所在を速やかに下におっかぶせるシステムが見事に機能しています。
    しかし、パターンが一定しているシステムほど、脆弱な部分が多いので、彼らのパターンに乗っ取って、責任を取らせる作戦が必ず構築出来ると人が次の日本のリーダーになる予感がします。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です


プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


カテゴリー


月別アーカイブ