12月31日に東京で仕事打ち合わせというのは、この10年絶えてなかった。それがどうしたことか今年の大晦日東京まで打ち合わせに出掛けた。
長野新幹線で上京し、東京駅についてびっくりした。 人、人、人の波…昨日まで働いてやっと大晦日に故郷に向かう人、あるいは大都会から抜け出して白銀のお正月へと新幹線に乗り込む人たちで駅はごった返していた。
「東京バナナ・見ぃつけた」最後尾はこちら、「東京カムパネラ」最後尾はこちら、「焼ショコラ」最後尾はこちら、「和のねんりん家」最後尾はこちら、「焼プリン」最後尾はこちら、「帝國ホテル東京駅開業記念チョコレート」最後尾はこちら、「シュガーバターの木」最後尾はこちら、「BOOK EXPRESS本」レジ最後尾はこちら、……田舎の両親へのお土産か、みんな殺気だって列をなしている。それも一つではなく、三つ四つと抱えて買いもとめている。コンコースには人波の上に、「最後尾」のプラカードが泳いでいる。東京駅は「最後尾」に占拠されてしまっていた。大晦日の夜、ターミナル・ステーションに見る「最後尾」の看板には何故か哀愁がただよっていた。
その最後尾にわれ先と殺到している人々もまた、何故か人生の最後尾を歩いている人のようにみえた。
政権が変わっても、この人々にシアワセがまわってくるのは、多分最後尾ではなかろうか。
「さあ駅弁やのオセチは如何ですか!」ふくふくオセチ、万祝オセチ、値段は一律2500円、「はーい、お一人様、お二人様にぴったりのオセチだよ!」
東京駅にはちょっぴり悲しい世相がいっぱい詰まっていた。
先今年無事芽出度千秋楽・最後尾編
コメント
1件のフィードバック
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あけまして、おめでとうございます
新年の言祝ぎを心より謹んで申し上げます
東京駅など、日本中のウイルスが集まる場所、お気おつけ下さい!
プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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