今年最大の関心事はなんといっても「フクシマ」だった。
あれほどの惨禍を被ったのだから当然の如く、「原発ゼロ」を目指すかと思っていたら、あっという間に「再稼動」という言葉が踊り、「卒原発」を謳った勢力は潰されてしまった。原発を稼動させなければ、日本は駄目になると喧伝されたが、東京でも軽井沢でも安曇野でも「イルミネーション」だらけ、電気が足りないから節電しろ、「省エネ」しろといっていたのは、真っ赤な嘘だったということがはっきりした。お国はどこまで庶民を騙せば気がすむのか、怒りの持って行きばもない。
それにしても我が家は「活断層」だらけで、「暴走老人」も歯がたたない。ちかごろの「アラフォー」「美魔女」の無意味な元気さには敬意を表する。
「散歩の達人」も人気があったが、地井武男さんだからいいので、加山雄三はいただけない。散歩の味が全く無い。単なる上から目線の肥ったブタなのだ。
「キャリーぱみゅぱみゅ」には参った。進化した名前かもしないが、舌がまわらない。「キラキラねーむ」の子供たちは将来どうなってしまうのだろう。こうした文化は「除染」しなければならない。
テレビを見ていて吃驚するのは「ももち」なる少女、こんな大馬鹿をテレビがキャストすることが信じられない。もはやテレビは俗悪を通り越して、モラルを忘れたバッタ商売と化している。
「ダンミツ」のスーパーなお色気に振り回され、ミニスカートとニーハイのあいだの「絶対領域」に「チラ見」を投げかけるぐらいが、老いたる青春に許されたオコナイだろう。
「近いうちに」…我が家の流行語大賞を決めようと思っている。
我が家の流行語大賞ノミネート2012
コメント
1件のフィードバック
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ダンミツが、アリで、ももちはダメ、分かるような気がします。
TVも、その場しのぎではなく、早くその先の方向性を見つけないと、BSに視聴者を取られるのは時間の問題です。
特に地方のキー局は、早く準備しないと手おくれに!
唯一光明の見えたのが、池上彰さんの選挙番組でした。
プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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