文明と高齢化の果てに

by

in

 第五福竜丸の原爆災害のあと、友人に頼まれて焼津の演劇指導に足をはこんだことがある。あの頃は東海道本線で車窓の風景に新感覚派文芸の描写を重ねながら、乗り換えることもなく焼津に降り立った。新幹線が走るようになり、静岡で数少ないローカル線に乗り換えなければ焼津にいけなくなった。新幹線で近くなる筈が、かえって遠くなったのだ。
 松代雨宮には凄いまつりがある。青年男子を橋の上から縄で逆さ吊りにして川につける。雨宮の御神事という。善光寺平の南から北信へ向かう長野電鉄屋代線の雨宮駅もこの春廃線になり、御神事にはいきにくくなった。オペラの仲間が多い伊那、駒ヶ根、飯田へ諏訪から降る飯田線も、リニア新幹線のおかげでどうなってしまうのか不安だ。リニアは東京、大阪のためにあり、田舎には不要の長物だ。
 過疎化が進んだ地方の出来事だとおもつていると、そのうちとんでもないことになる。都心部でも廃線がはじまる。小田原、町田まで走っていた小田急線は成城学園前までで、その先には行かなくなるかもしれない。。デパートも消えてなくなる。人々はネットで安い商品を選ぶ。人口減少がもっともあからさまに反映するのは学校、多くの私立学校が廃止され、高齢者の施設となる。運動場はゲートボール場となる。ショピング・センターもレストランも、洋品店も喫茶店も店じまいを余儀なくされる。
 威容を誇った多摩ニュータウン、千里ニュータウンではすでにオールド・タウン化が始まり、生活機能が失われつつある。サービスどころか医療も受けられなくなりつつある。いま全国の公立病院の6割が赤字経営、いつ閉鎖になっても不思議はない。風俗も若い女の子がいなくなれば、すべて熟女系がスタンダードになる、マザコンがますます増える。
 文明と高齢化がすべての人間らしさを奪っていく。老人は食べない、飲まない、移動しない、家をかわない、オシャレをしない、…お金が回らなければ、その先にあるのは質素に地味に暮らす貧しい国民の姿かもしれない。
 


コメント

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です


プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


カテゴリー


月別アーカイブ