軽井沢の仲間だった山口路子さんが、生き方シリーズの第三弾として「マリリン・モンローという生き方」を出した。ココ・シャネル、サガンについでの著作だが、モンロー没後50年というメモリアルな出版でもある。
亡くなってすでに50年経つのに、モンローは不思議だ。パリのプラージュにも、ニューヨークの42丁目にも、ベガスのフォーラム・ショップスにも、勿論ロスのダウンタウンにも、現役のスターのごとくピンナップがある。エリザベス・テーラーもヘップバーンも見当たらないが、モンローだけはいまだにポストカードが売られている。
去年の春、モンローオタクのアメリカ人に案内されて、サンタモニカの大通りからビバリーヒルズにかけてモンローの足跡をたどった。
you are the starというアメリカ人が大好きな100人の壁画のまんなかには、チャップリンとマリリンがどんと座り、まわりをきら星のごとくスターが取り囲んでいた。チャイニーズ・シアターの前の手形には、モンローは勿論のこと、彼女の母親が熱狂的なファンで、彼女が生まれたときにその名前をそっくりいただいたノーマ・ジーンの手形にも心そそられた。ディマジオといつもブラインド・デートをしていたレインボーの椅子にも座った。
ウェストウッドのマリリンの墓はあまりに悲しかった。通常ポストと呼ばれている貧乏人のための集合墓地、4階建ての下から2段目にマリリンは収められていた。ハリウッドで共に働いた人々は目の前の芝生の庭に立派な大理石の墓石にまもられて永遠の眠りについている。彼女の数奇な短い一生に涙が止まらなかった。
新人物文庫の山口さんの本には、そうしたモンローの生き様が、簡潔に知的に描かれている。暮らしの余白で、気軽に読めるのはとても嬉しい。
マリリン・モンローという生き方
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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