正月に似合うファッションはきものを置いてほかにない。
ちょっと見に直線裁ちの堅いきものだが、全身グルグル巻きにして体をかくしても、流行のショート・パンツやシースルーのどれよりもはるかに色気があり、こころざわめく日本の衣服だと思う。
暮のおせち作りのときは質素なきものに割ぽう着をきてがんばり、元旦を迎えたとたんに粋な小紋に着替え、お神酒をかわす。初詣にでかける。歌留多をする。みんな華やかな振袖と渋い結城や江戸小紋のある風景がとてもよく似合った。
貧しい時代の母親や、娘さんたちのお正月のお洒落には、飽食の時代のファツション・ピープルより、ずっと華やかで贅沢なハレの気分があった。歌舞伎の女殺油地獄や谷崎文学にもでてくる、くるくると帯解きをする「帯取り回し」のお大尽遊びなど、きものの着付けの複雑さを逆手に取ったお遊びだったのだろう。
きものは身体のほとんどを隠し、顔と手以外にはわずかに首筋だけをみせる。腕をあげたとき袂からわずかに覗く二の腕の奥だとか、胸の合わせから見える白い肌、うなじのあでやかさなど、きものという民族衣裳のエロティシズムではなかろうか。
脇の下についている「身八つ口」、身体の内奥から発する汗や臭気を逃す工夫といわれているが、これこそきもののエロティシズムの極め付け。そつと身八つ口から手を入れれば、たちまちに胸にとどく。ひんやりとした絹の感触から、暖かな女性の体温にうつる落差のなかにこそ最高の色気があるといっていたのは、モーパッサンを師と仰いだ永井荷風だった。
いいあわせたようにアクリルの振袖をまとい、大きく盛った髪に安っぽい花飾りと安っぽい白襟巻き、お約束のヴイサインをする近頃の成人式のきものは、たしなみに欠けるきものの様なもので、禁欲的なエロいっぱいの日本のきものではない。
きものは正月の宝石
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プロフィール

星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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