伊那谷・駒ヶ根に素晴らしい合唱指揮者がいる。音楽プロデューサーでもある。
地元光前寺に素材をとったミュージカル「早太郎」、時代を先取りしたデジタル・オペラ「青獅子」、そして新国立劇場でも上演したオペラ「おしち」、みな三沢照男さんのプロデュースによるものだ。僕は脚本・演出を担当した。
あの頃まだ幼なかったお嬢さんのノゾミちゃんが、パリへ留学し今注目されている新進気鋭の作曲家オリビィエ・フロリオさんと結婚した。オリビエさんはこの春、ラジオ・テレビジョン・フランスとNHKによる日仏合作のドキュメンタリー「普賢岳」の音楽も書いている。ノゾミちゃんは前衛的なピアノ奏法を得意とし、ピアノを鍵盤のみで演奏せず弦をなでたり、たたいたり、かなりアバンギャルドな演奏家である。
しかしご本人は心優しい大和撫子、撮影の助手をつとめてくださったり、自宅にお招きいただいて「フランス産かも鍋」をご馳走になった。フランス料理には昔から鴨は存在するので珍しくないが、オリビエさんが鍋奉行をつとめ、まず鴨を一枚一枚丁寧に炒め、あらためてスープ仕立ての鴨鍋となった。祇園の富美代さんでいただいた水菜の鴨鍋や、湘南葉山のラ・マレ・ド・チャヤのオレンジ仕立てのかも料理にくらべても、決して劣ることのないフランス版家庭料理の美味い鴨だった。
お二人の間に少女がいる。美少女を絵にかいたような蠱惑的な表情をする。ぜひカメラに収めようとレンズをむけてもなかなかいうことを聞かない。横を向く、隠れる、カメラを翻弄する。ママ曰く、「この子パリ娘だからちゃんと男性との駆け引きが身についているのよ。子供のくせに、大人なの。」 それにしても「美女をつくるには、混血にかぎる」お約束通りの美少女だった。
パリのオリビエ・ノゾミ夫妻
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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