地デジは何も創らなかった。

by

in

 あれほど大騒ぎした地デジ化で何が変わったんだろう。
 家電メーカーはやたら儲けた筈だ。駅前電器店も商売繁盛が突然やつてきた。電気工事の人々もすこしは潤るおったかもしれない。仕掛けた官僚と政治家とテレビ局ははなはだ胡散臭い。地デジカといつた可愛げのないキャラクターを氾濫させた代理店とジャニーズ事務所はニンマリといったところだろう。
 消費者はまんまとだまされ、六畳なら40インチなどというキャッチに乗せられ、あらかたの家庭でテレビのサイズが10インチ以上大きくなった。住宅の狭さは相変わらずで、テレビだけが大きくなったのだから、その分人間様が窮屈になったということだろう。パソコンとケイタイとテレビのスリースクリーンがますます支配力をまし、ヒトサマから思考力を奪う。
 驚いたことに、あれだけ大騒ぎしたテレビのコンテンツがなにひとつ変わらなかったことだ。地デジ化をあれだけ騒いだのだから、番組がすこしは良くなるかと思ったのは視聴者の思い過ごしか、それともテレビ局のサボタージュか。せめて記念番組ぐらいあって良心のかけら位は見せるかと期待したがなにもなかった。
 お笑いは相変わらず、殺人ドラマも変わらず、どうでもいい食と旅、あとはジャンクな通販とオバカなニュース・ショウ、視聴者の心はどんどん離れていく。地デジになって使えるデンパで、さらにお買いものチャンネルだの、エロ・チャンネルでは泣くに泣けない。地デジ化はますますの阿呆促進道具に成り下がった。
 表現メディアとしてのテレビ、ジャーナリズムとしてのテレビ・ルネッサンスを考える経営者よ、いずこ。


コメント

1件のフィードバック

  1. よろず評論家のアバター
    よろず評論家

    そのとおり。の記事をありがとうございます。 国民から巻き上げたお金で潤うのは、一部の業界、官僚。 一億総白痴化という日本語が出た時代がありました、私は子供でした。 いま7割は白痴ではないかと思う。 私は白痴だがテレビをやめた部類です。 こんなやつら死んだほうがまし。 と思うがそんな部類がはるかに多い現代日本。 めんどうくさい。 考えるのをやめよう。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です


プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


カテゴリー


月別アーカイブ