ベビーカーの礼儀知らず。

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 少子高齢化のおかげで、ベビーカーがやたら眼につくようになった。
 軽井沢ではアウトレットがセールをやると、ベビーカーの走行率がぐんと跳ね上がる。若い母親はメークアップをしつかりとし、アイメークはキャバクラふうに、ショートパンツか超ミニで買い物に走り回る。そのあとをもたもたとついてベビーカーを押して歩いているのが、父親とおぼしき若いパパなのだ。狭い店内にも平気で入ってくる。赤ん坊のほうも迷惑だろうとおもうが一向に心くばりをせず、ラックのしたを平気で歩いている。店のそとで待っているというデリカシーは全くない。迷惑をかけているという認識もない。
 ベビー・カー側にも問題ありだ。赤ん坊をのせる実用車をやたら高級化し、アタマの弱いセレブ志望の親たちの関心をひいて商売に結び付けようとする。マクラーレンのベビーカー、マイクラライトのスーパーなベビーカー、まだ猿に近い赤ん坊をフェラーリのベビーカーに乗せてどうするねん、といった話でもある。
 車椅子も注意しなければならない。歩くことが不自由になった母親とおぼしき老人をのせて、アウトレットに買い物にくる娘さん。どちらが望んだことかしらないが、車椅子の老女にアウトレットのブランド・ファッションは必要ないだろう。ハナオカの実用着のほうが、はるかに役立つように思うが、今時のお婆ちゃんはブランド好きなのだろうか。うっかりと前を横切ろうものなら、般若の形相で睨みつけられる。
 赤ん坊のベビーカーとシルバーの車椅子には、とにかく敬意を払って控えないととんでもないことになる。ペットと赤ん坊と老人、これはリゾートの支配階級である。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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