子役ブームでいいのか。

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 大人たちが思考停止状態に陥ったとき、子供が登場する。大人が自らの手によって、大人の文化がきずけなくなったときの、カンフル剤が子役とよばれる一連のタレント群だ。戦後の虚脱状態のなかで童謡が猖獗をきわめた。安田姉妹も川田孝子も音羽ゆりかご会も皆その空洞化のなかの童謡歌手、つまり子役なのだ。ポツプスが育ち、歌謡の充実とともに、童謡はすたれていった。
 あれだけ童謡が歌われた時でも、子供の商業利用についてはかなり厳重な規制があった。マッサラな子供を広告に利用することだけは止めようというコンセンサスが、社会にあったし、親たちにもあった。教育行政にも厚生福祉行政面からも種々シバリがかかつていた。
 それが何時の頃からか、野放図に子供を利用するようになった。年間1000万円の契約料といわれるこども店長加藤清史郎君(9)を利用した自動車メーカー、売らんかなのレコードのために「かつおぶしだよ人生は」を歌わせ、見事にこけた大人たち、みな金に目の眩んだモラルなき大人たちだ。
 彼女が出演すれば数字がとれると大争奪戦を繰り広げているテレビ界も全くおかしい。スーパー子役芦田愛菜(6)ちゃんは普段は関西弁だそうだが、新横浜を過ぎると標準語になるそうだ。誰がそういう知恵をつけているのかしらないが、不愉快きわまりない。「マル・マル・モリ・モリ」と可愛らしく踊られても透けて見える大人たちの狙いがいやらしい。AKBの総選挙とおなじ、レコード販売の手段に利用されている少女の延長線上にある。
 としはのいかない少女が目の下に隈を作って、化粧でかくしてテレビ局を渡り歩き、コマーシャル・スタジオを飛び歩く、それに嬉々として付き添うバカ親からペテン師と揶揄された総理大臣まで、この国はどうなってしまったのだろう。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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